時光惜しむべし

「時光(じこう)惜しむべし」。

臨済録』の「示衆(じしゅ)」の章にある言葉で、そのまんまの意味で「時を浪費するのはもったいない」ということを後進に言っている。

 ワシャは、せっかちな性分である。寝ている以外は、なにかセコセコとやっていないと気がすまない。だから行列が大嫌いで、立って待っているだけ、というのがとても苦手だ。会議とか式でも、形式的な時間だけを浪費するようなものがあるでしょ。来賓あいさつなんかを延々とやっている……もう、ああいうものに列席しているとゲロを吐きそうになるわい。

 昔は、葬儀に出ることも苦痛だったが、『臨済録』や『正法眼蔵』などを仏教に関わる本を読むようになって、お経が心地よくなってきた。たまに理解できるフレーズが出てくると「アハ!」(古いか)となるし、あの単調なリズムの繰り返しが、脳を「無」にしてくれる。

 そうやって考えれば、会議とか式も、来賓のペラペラと回る口元でも見ながら、心を「無」にすればいいのかもしれない。修行の場と心得れば、ゲロまで吐くこともないか(笑)。

 

 しかし、このことについては、時光惜しむべし。

 しつこいけれど、香港の「103万人デモ」のことである。ワシャの町では夏祭に3日間で100万人ほどの人出がある。これで、JR駅周辺は来訪者でごった返す。だから100万人の感覚は肌で知っている。映像で香港のデモの様子を見たけれど、すごいの一言に尽きる。この圧倒的な圧力は七夕祭りの比ではない。人民の苦悩がテレビの画面から伝わってくる。

 日本政府は、このことに対する外交的行動を急ぎ起こすべし。その準備には時を惜しむべし。そして一刻も早く、中国共産党への批判の狼煙を上げるべし。