魂があるか

 MayJという歌手

https://www.may-j.com/index.php

がNHKのBSで、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を唄っていた。熱唱していた。この歌手は歌唱力があるんだね。

 でもね、「インナーボイス」がないんだ。横浜で、街の灯りを見ている女が、どういう心境でいるのか――。どういう思いで「やさしいくちづけをもう一度ください」と言っているのか。

 いしだあゆみの訥々とした歌い方だから、別れに際してのこの女性の複雑な気持ちが織り込まれ、歌の間に女の躊躇いのようなものまでにじんでくる。それがさ、「やさしい!くちづけ!もう!一度!」と、熱唱してしまったら、ディープキスをベロベロにねだっているようで品がない。

 

「文藝春秋」6月号からの新連載「その風を得て」の第1回が玉三郎だった。玉三郎の発言を引く。

「魂がなくなる時代が来ていると思います。心のあり様を情報化あるいは数値化してしまい、醜いも美しいも、見分けがつかない社会になってしまったからです」

 躊躇いのない大声を張り上げることは、大きな間違いである。それが美声であっても情報を大量に出しているだけで、魂はなにも語っていないのではないか。