大宰府からの帰還

 10月に凸凹商事を退職して以来、ようやくひとつの結論がついた。というか、6年にわたる長い戦いの決着が、ひとまず収まることとなった。半年間の「運動」で、なんとか凸凹商事の社外役員に食い込むことができた。生々しい話でごめんちゃい。でも、おもしろい話なのでどこかで書いておかないと……と思っていたからね。

 

 小さな会社でも権力争いというものは熾烈だ。たまたまワシャが中枢の課長にいた時に、争いに巻き込まれた。当時、主流派の部長が人事を掌握していた。この人がワシャの直属の上司で、ワシャとは言いたいことを言い合える、多くの部下からの厚い人望を得ている人だった。

 この人が、主計部局の部長を左遷した。これがすべての始まりだった。主計部長、一言でいうと「佞人」だった。上にはへつらい、しかし陰では悪口を言い、下は、自分におもねる人物しかかわいがらなかった。権力志向の強い人で、学歴で人を見ること甚だしく、己が一番仕事ができると思い込むタイプだった。官僚のバカに一番多いタイプだった。

 だからこの人物のもとには人が集まらない。どちらかというと同席して話をしたいタイプではなかった。なにしろ何を考えているのかが見当のつかない不気味な人物だった。金銭にも細かく、大きな予算もケチるが、仕事の合間に食べる茶菓子代をも出し惜しみするタイプで、だから主計畑が長いとも言えるんだけどね(笑)。

 この人が現場に飛ばされた。このことを恨んだ。左遷って、だから恐いんですよね。

 まもなく、副社長が病に倒れた。そして、人気のあった主流派部長が、その年度末に退職を迎え、なにも考えていない社長は、飛ばされていた主計部長を副社長の席に戻した。

 

 さぁここからがドラマの始まりです。

 ワシャは、まだ中枢の課長の席に座っていた。副社長、直結の部局である。主計部長、復帰早々、ワシャとワシャの腹心の部下を呼びつけて、怒鳴りまくった。「仕事が甘い」というのだ。凸凹商事は周年事業とある大きな記念事業をWで迎えることになっていて、とにかくそれを社のPRに使っていこうということで、予算を確保して派手なイベントを考えていた。それがケチな副社長の逆鱗に触れた、というか、退職した人事部長の流れを汲んでいると見なされたのだろう。そこからの1年は、連日が針のむしろに座らされているようなものだった。

 そして1年後、ワシャも腹心も見事に「左遷」された。その時にも「辞めて別の道を摸索しよう」と思ったのだが、周囲の仲間や先輩たちに諌められて、苦汁を呑みながら耐えたものである。

 軽い御輿を担いだ副社長の専横は極まっていた。副社長に意見をするものは皆無になった。そして友達もいず、藩屏もいなかった副社長は、学閥をつくり、前回の人事では、ついにその中から20人抜きくらいでボンクラを昇格させている。

 遣りたい放題の状況を、大宰府で見ていたが、さすがに梅を愛でている場合ではないと思った。これはなんとかしなければと思い立って、ついに昨夏、ある決心をして社長に辞表を提出したのである。(不定期につづく)

 どうでもいい話ですいません(謝)。