嘘の歴史に対抗する勇気を持とう

 昨日はブルカの話で終わってしまった。朝日名物の「声」欄に気になる投稿があったのだが、ついに触れられなかったので、今日、取り上げたい。

 昨日、韓国人の女子大学生からの投稿があった。内容は、日本人に対する呼びかけで「不合理に対抗する勇気を持とう」と題が付けられている。彼女は言う。

「いま韓国では、女性の人権を拡大する動きがある。その波を感じたあとに日本に来て冷水を浴びせられた」

 その理由をいくつか挙げている。

  1. 女性を性的対象とした雑誌がコンビニで平然と売られていること
  2. 結婚でほとんどの女性が男性の姓に変えてしまうこと
  3. 結婚相手を「主人」と呼ぶこと
  4. 女性言葉と男性言葉があること

 この寒いのに冷や水をかぶったんだね。ご苦労さん。

 彼女は、投稿をこう結んでいる。

「伝統という慣習の後ろに隠れている差別に立ち向かおうとする勇気から、変化は始まるのです」

 はいはい。

 まず、「1」について。確かにコンビニでその手の本を売っている、そのことに関してはワシャもいかがなものかと思う。しかし昨今、それを止めていくコンビニも出てきたようだから改善はされていくのではないか。

 でも、この女性のお国では、写真どころか、生の売春婦が「売春をさせろ!」とデモまでしている。2015年9月23日にソウルで、性売買従事者の労働者認定を促すデモをやったでしょ。ああいったことは許容するんだね。

「2」である。これこそこの学生の不勉強というか、まぁそもそも韓国がそういった教育をしてこなかったので仕方がないのかもしれないが、まったく逆なのである。まぁ日本の左翼にも夫婦別姓を叫ぶ阿呆がいるから、そう責められないんだけど(苦笑)。

 例えば、韓国では金さんの家が李さんの家からお嫁さんを貰う。しかしお嫁さんは金姓を名乗ることができない。生涯、李姓のまま過ごす。夫婦に子供が生まれれば、その子たちは金姓を名乗るから、家庭内で別姓はお嫁さんだけということになる。これは嫁を一家の人間と見なさない断固たる差別のシロモノなのである。その点で日本では田中良子さんが山田家に嫁げば、山田姓となり、伊藤太郎さんが、太田家に婿に入れば、太田太郎さんになる。嫁いできた者に同じ性を名乗らせない国と違って、家というものに価値を見出している日本には、家に入るものに対してなんの差別もない。

「3」、妻が他人に対して自分の夫をさしていう言葉である。しかしこれは「他人を従属、隷属させている者」という意味合いではなく、現在では、「戸籍の筆頭に名前のある者」くらいの意味合いになっている。その程度のことに目くじらを立てるのは、国民性なんでしょうか。

 最後の「4」、「女性の言葉と男性の言葉があることが不思議だ」と韓国人女性は言う。それは不思議でもなんでもなくて、そこが文化の深度なのである。正確に言えば「女性語」なのだけれど、『日本国語大辞典』に依れば、《丁寧の意の接頭語「お」を種々の語につけたものや、感動詞の「あら」「まあ」、終助詞の「わ」「だわ」「よ」「のよ」など》のことであり、これが永い時間をかけて宮中、斎宮などで醸成されてきたものなのだ。もちろん、遊里で育まれた部分もある。でもそれは一部であり、それに当時は大名ですら遊女に敬意を表さなければ遊ぶことが許されなかった特殊な世界だったのだ。そのあたりの歴史を踏まえれば、日本の女性に対して「不合理に対抗する勇気を持て」などと言うのは憚られるのではないか。

 まあ、歴史を捏造したりなかったりすることが伝統のお国柄だから無理な相談か。