ドラマへの遺言

 一昨日の「ラプラスの魔女」で、倉本聰さんの『ドラマへの遺言』(新潮新書)について触れた。その中で倉本さんが、「インナーボイス」を出せない役者は役に立たないというようなことを言っていた。そして嵐の二宮くんがきわめて優秀な役者であることを認めている。つまり「インナーボイス」をさらけだせる役者だということ。その他にも、八千草薫、森光子、大竹しのぶ倍賞千恵子いしだあゆみ大滝秀治笠智衆などを高く評価している。

 八千草さんと森さんは、こんなエピソードが紹介されていた。大物政治家の二号だった八千草さんのところに本妻の森さんが訪ねていくというシーン。座敷で対面するんですね。その場面、倉本さんは「2人が対面して挨拶する」としか書いてないんだけれど、2人の大女優は、なんの指示をされなくとも、八千草(二号)は、座布団を敷かずに畳にじかに座り、森(本妻)は座布団から降りず、体の両側に親指をついて、ちょっと腰を浮かしながら「お世話になりました」と挨拶をしたという。ここから本文を引く。

《どういうことかと僕はみっちゃんに聞いたの》みっちゃんというのは森さんですね。《そうしたら、目下の人に対するしぐさだって。つまり両手を前につくんじゃなくて、両手を脇に置いて頭を下げる。それを森みっちゃんがさりげなくやってみせた。》

 倉本さんは「脚本を演技が超えた瞬間だった」と驚く。

 この演技はおそらく今の女優達にはできないだろうなぁ。役作りの前に、作法やしきたりが体の中に叩きこまれていないと、おそらく無理だろう。

 

 そして倉本さん、第13章で「ビートたけし」のことを書いている。これはかなり厳しい言い方となっている。

《たけしとは、以前1本だけ15分くらいのミニドラマをやっているんですけど、それだけですね。僕はあの人を全然認めない。役者としても人間としてもですね。》

この後もかなりきつい言い方でビートたけし評を続けているのだが、ううむ、もともと倉本さんは出来の悪い俳優とかテレビマンに厳しいけれど、「ここまで言うのか」というほど徹底的に嫌っている。

 ワシャは、ビートたけしをある程度評価していたので、けっこうショックだったなぁ。

 

 どちらにしても、倉本ドラマのファンにはたまらない一冊だった。『屋根』の名古屋公演で握手をしていただいたのが唯一の接触だったが、それでも膨大な倉本脚本を噛みしめ、ドラマを見て、舞台を観て、環境雑誌を読んで、間違いなくワシャの人生の師だと思っている(勝手にね)。

 一読者として、倉本さんの遺言のような本を手にしているが、しかし、これからもいいドラマを作ってほしいと思う。それは、現状の映画・ドラマがあまりにも低級だからね。