歴史に学べ

 昨日は定例の読書会。課題図書は磯田道史『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)である。副題に「先人に学ぶ防災」とあって、一時期、防災関連の仕事をしていたワシャには興味のある内容だった。

 まず、ワシャは1970年代に「東海地震域割れ残り理論」を思いついて「東海地震は明日起きてもおかしくない」と言い出した東大の地震研究者を嫌悪している。あの学者のつまらぬ学説でどれほどの人命が失われたことか。

 神奈川県、静岡県、愛知県に防災予算がそれこそ何兆円とつぎ込まれた。「地震は予知できる」との妄言で駿河湾から遠州灘周辺に何基ものセンサーが沈められて40年間、うんともすんとも言わない。言っているかもしれないが、そんな適当な学説に則った機械の予測などで、東海道の経済活動を止めて終ったら、経済にどれほどの混乱が起きることか。そんなわけで、莫大な予算を太平洋に沈めてきた精密機器類は、ペットボトルで作った鳥威しにさえ劣る代物になっている。

 本来は、この40年間に費やした研究費や無駄なハード整備費(無駄でないもののあるけどね)を防災教育に振り当てるべきだった。

 例えば、吉村昭さんの『三陸海岸津波』(文春文庫)には、東日本大震災前に出版されており、その本では三陸海岸の危険性について口を極めて警告している。

 

 すいません。ここまで書いてきて、突然、所用が降って湧きました。終わり次第、再開しますね(謝)。

 

 いやー、怒涛のような所用が終わった。なんなんだ、この疲労感は……しかし、精神衛生上はそれほど悪くはなかった。まぁ所用の話はどうでもいい。

 

 吉村昭さんの警告は、防災行政の愚策に阻まれて、住民たちにはなかなか浸透していかなかった。『天災から日本史を読みなおす』の中でも《とくに公務員や教員は臨機応変して日々利益を追うビジネスマンと違い、規則にのっとる行動をとりやすく、集団の指揮を任されると、平時の公平と穏当を前提とした常識にとらわれやすい。》と行政の陥りやすい穴について警告をしている。

 大船渡小学校では運よく学校長が常識にとらわれない人物であったために全校児童の命は守られた。残念ながら大川小学校では、教員たちは常識の陥穽から抜け出せずに多くの犠牲者が出てしまった。

 

 これも個々の教師たちのせいということではなく、きっちりとした防災教育を施してこなかった国の施策の誤りである。東京大学地震の権威などというまやかしを信じてしまった防災官僚の罪である。

 権威の言っていることを疑い、歴史に学んだ地域の被害は低かった。各自治体が作っている無味乾燥で分厚いだけの防災計画などを参考にするよりも『天災から日本史を読みなおす』を一冊読んだほうがはるかに生き残る確率が上がると思う。

 

 予算の使い方が大きく的を外していることを国も自治体も自覚したほうがいい。