銭形平次

 平将門のことを考えていたら、将門 → 神田明神 → 神田明神下 → 銭形平次……と発想が飛んだ。ワシャらの世代には、舟木和夫の「♪なんだかんだのみょうじんしたで~♪」の歌でお馴染みでしょ。大川橋蔵の敏捷そうな二枚目平次はかっこうよかったなぁ。

 テレビのほうは父親が時代劇好きだったので、一家団欒でずっと見ていたものである。しかし、野村胡堂の小説のほうはとんと読んだためしがない。「銭形平次」とならぶ捕物帳に「半七捕物帳」があるんだけど、こちらのほうは『半七捕物帳』(筑摩書房)全6巻、『半七捕物帳』(筑摩文庫)全6巻、『半七捕物帳事典』(国書刊行会)、『半七の見た江戸』(今井金吾)などが揃っている。

 なぜなんだろう。テレビでは絶対に大川橋蔵の「銭形平次」だった。長谷川和夫の「半七」はあまり見た記憶がない。でも、書籍では断然に「半七」に軍配が上がる。

「半七」のほうは子供がテレビで見るには、ちょいと恐かったからかもしれない。全体に怪談っぽい話が多いのだ。「一つ目小僧」「幽霊の観世物」「ズウフラ怪談」「勘平の死」「半鐘の怪」とか、そんな題ばっかりなんですよ。その点で、「銭形平次」のほうは、本が手元にないので、題名を並べられないけれど、テレビを見た限りでは、いわゆるヨーロッパの警察小説のような出来上がりになっているので、それほど怖い思いをすることはなかった。和製シャーロック・ホームズとも言われているようで、そんなさっぱり感がよかったのだろう。でも、少年ワルシャワは「和製」を読まず、本家のコナン・ドイルのほうを漁るように読んでいったのだった。

 それから幾星霜、年齢を重ね、伝統文化、江戸文化に目覚めたんですね。いろいろな文献に当たっていくと、江戸の風景をきっちりと描いている『半七捕物帳』に行き着きやすい。そこで、「半七」の戸を「ごめんやす」と開けてしまった。そこから、読むほうは「半七」オンリーで突っ走ることになったわけですわ。

 

 将門から銭形平次に発想が行ったあたりで、司馬遼太郎の『街道をゆく』の「神田界隈」の中にこんな文章を見つけた。

《私は作者の野村胡堂(一八八二~一九六三)にお目にかかったことはないが、『銭形平次捕物控』が雑誌に月々発表されていたころ、まっさきにそこから読んだ。文章は、よく知られているように、“です”“でした”調である。叙述がすずやかで、すだれごしに上等な夏の料理をたべているような気がした。》

 さすが司馬さん、喩がうまい。「すだれごしの上等な夏料理」なんて言われたら、ワシャだって賞味したくなりまっせ。

 さっそく書店に行こうっと。