《現在、日本で最も観客動員数のある落語家は立川志の輔だ。》と落語通で有名な編集者の広瀬和生氏は言う。
《笑いもあれば感動もある。わかりやすいが奥も深い。新鮮な演出と巧みな話術とが織り成す「志の輔らくご」の普遍的な魅力は、年代を超えて、すべての現代日本人の共感を呼ぶ。》
これも広瀬氏の志の輔評である。
師匠の談志は、志の輔が真打に昇進する際にこんな一文を口上書きに寄せている。
《落語・演芸・ショウビジネスに携わる人々が志の輔の力量を認め、また現代の席亭とも言える、ホールやライブハウス等からも引く手あまたであり、TVを始めとするマスコミで知られ、大衆の皆様に支持されている事実、それに加えて落語の内容、技術を師匠である談志が認めた、ということであります。》
口上の最後はこう締めくくられている。
《行け、志の輔。舞い上がって来い。何かあったら俺が引き受けてやる。》
あの厳しい談志が大絶賛である。この一点をみても志の輔の実力がわかろうというものだ。
一昨日の高座で志の輔は、初めて文楽と出会った時のことを語っている。志の輔のエッセイ『志の輔のらくご的こころ』(主婦と生活社)の中にも同様のことが書いてあってね、平成5年に書かれたそのエッセイで「5年前」と言っているから、志の輔の初文楽は2000年の頃になる。
《最初は、人形を使う人間の方ばかりに気をとられていたのが、あら不思議、徐々に黒子も人間国宝も視界から消え、なんと人形だけが見えてきたのです。すでにそれは人形ですらなく、それは色っぽいうっとりするような一人の女がそこにいたのです。》
これはそのまま志の輔らくごにも言えることである。志の輔は物語の途中で、時おり、顔を出してくる。司馬遼太郎が「余談ではあるが……」と話を挟んでくるのにも似ている。でもね、物語にもどると、高座には徂徠が語り、豆腐屋が困り、女房がたしなめるのがありありと見えてくるのである。
おそらく演出だと思うが、よちよちと高座への階段を上る志の輔の姿は、老落語家の風情すら醸している。NHKの「ガッテン!」のスーツ姿で見せる若々しさを故意に消し去っている。このあたりも、見せるということに拘っている名人の成せる技なのだろう。
真打になりたての志の輔を、談志は心配していた。「何かあったら俺が引き受けてやる」とまで言わしめた。しかし談志の思いは杞憂に終わった。なにせあなたの弟子は江戸落語の頂点に立っているのですから。