時計から時間へ

 ワシャよりも一回り上の先輩で、功なり名を遂げた方がいる。その人と以前に飲んでいた時に議論になったことがある。先輩がこう言った。
「僕が現役だったころは一日があっという間に過ぎた。ワシャ君も今はそうだろう」
 ちょうどその頃、灰汁の強い上司との権力争い(といってもコップの中の小さな嵐ですがね・笑)で身が細っていた。だから「一日が長いです」といささか楯突いた。
 これに対して先輩は「いや年齢とともに、仕事とともに、体感時間は短くなるものだ。時間を長く感じるということは、君が仕事に集中していないか、楽しんでいないからだ」とやや憤って言っていたのを思い出した。

 昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」で「大人時間は早く過ぎる?」ことを検証していた。
 子供の頃の1年は長かった……老いを重ねると1年は短くなる……。これを生きてきた時間を母数として考えると、10歳の子供は10年の人生を生きてきたわけで、それが全てである。10年のうちの1年だから10分の1の長さになる。ところが60のオッサンは60年生きてきたうちの1年だから60分の1の実感しかない。という説もある。
 哲学者の宮城音弥が、個人によって「暦年齢」「生理的年齢」「心理的年齢」「社会的年齢」が違っているために、時間の遅い速いが生じるのだというようなことを言っていたような気がする。こちらの説は歴年齢に加えて生理的、心理的、社会的な要因が重なると時間速度が変化するらしい。
 前述の先輩も社会的な要素が加わってスピード感ある晩年を過ごされたのだろう。ワシャはというと心理的なものから遅々とした数年を感じたということだろう。
 おっと昨日の「チコちゃん」だった。番組では「時間の速度」が「トキメキの多寡によって決まる」という新説が開陳されていた。
 子供は見るもの聴くもの触るもの、すべてが新鮮ですべてにときめくから時間が長く感じる。大人は外的刺激に対して心が動かないので、時間が早く過ぎる……というもの。なんだか眉唾な新説だが、それでもワシャ的には妙に納得するところがあった。
 ワシャはこの年齢(秘密です)になっても新しいことに挑戦したいと思っている。やりたいことがいっぱいあるのである。ものになるのかは見当もつかないけれど、とにかくやってみたい。まだまだ人生にときめいているのだろう。だから時間の経過が遅いのかなぁ……と、チコちゃんに納得してしまうのだった。

 それはそれとして、毎朝、性懲りもなくパソコンの前に座っているわけなのだが、なにも書くことが出てこない日は、パソコンの右下の時間表示が速いのだ。すぐに出勤時間になってしまう。すらすら出てくるときも気が付くと30分くらいはあっという間に過ぎている。出ても出なくても時間は速く過ぎる。
 しかし、ある特定の時間を待っていると、時間表示は遅々として進まない。例えば午後2時に嫌いなヤツと会う約束をしたとしよう。あなたは現場に10分前についてしまった。ここからの600秒の長いことといったらありゃしない。
 とはいえ、人の一生など宇宙の時間からいったら、ほんの一瞬のことでしかなく、星の一回の瞬きよりもはかない。だから悔いのないように生きよう……といっても、その悔いすら残らないからさっぱりしていていいですけどね。