図書館の役割

 作家の百田尚樹さんが女優の中江有里さんの発言を苦笑いしている。苦笑の原因はこの発言である。
《図書館と書店は本を守り、読者育成という立場では同じ》
http://www.sankei.com/column/news/180222/clm1802220004-n1.html
 中江さんの文章を要約する。
〇最近の図書館では工夫を凝らした空間づくりがなされており、本好き以外にも受け入れられている。
文芸春秋の社長が「図書館は文庫本を貸し出さないで欲しい」発言があったが、果たしてそうか?
山梨県立図書館では、図書館と書店の連携が始まっている。
〇図書館と書店は敵対しているように見えるが、本を守り、読者を育てていくという立場では同じ、近い位置にいる。
〇本はなくならないが、出版のビジネスモデルは変わるかもしれない。
 というような内容。

 これに対して、百田さんの知り合いがクレームをつけた。
《中江さんは街から書店がもの凄い勢いで消えていることをご存じないようね。図書館がベストセラー作家の新刊を大量に仕入れて貸し出しているようでは、作家と書店と版元の収入が減る一方。税金で土地建物や本を手に入れる図書館は既刊本の名著を揃えるべきかな。》
 このツイートは少し尖っているかなぁ。
 中江さんは読書家である。おそらく書店が減っている現状は肌感覚として知っている。それに賢明な図書館はベストセラーを大量購入したりしない。ワシャの知っている図書館は80万冊の蔵書があって、その中に百田さんのベストセラーの『永遠の0』(講談社文庫)は7冊ある。それらは未だに貸し出し中になっている。
 現在、ブックオフには『永遠の0』が並び始めた。平積みになっているところもある。それだけ売れたということであり、古書市場にそれが回り始めた。では、それが飛ぶように売れるかというとそうでもない。108円で並んでいてもそうそうは売れず、しかし、図書館の予約にはまだ列ができている。本を買わない人は買わないのだ。そういった人のためにも、図書館は販売数の多寡にかかわらず、大切な本、読まれている本をつねに一定数準備しておく必要がある。
 
 図書館は、森銑三の全集を揃えなければいけないし、坂村真臣の詩集も置くべきであろう。ワシャの行く図書館には、一冊19,000円もする三枝充悳の仏教の著作集もあるけれど、それが動いたところを見たことがない。おそらく10年以上誰も手に取ってはいないだろう。そういった本もあり、百田さんの本のように毎日借りていかれる本もあるが、7冊か1冊かの違いはあるけれど、どちらも図書館に置いておくべき本ではないだろうか。

 図書館法においては「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」とされている。このことから、利用者が本の購入の要望を出してくれば、図書館としては感動の『永遠の0』も、駄本も、小難しい専門書も、ある一定冊数を検討し、購入し、提供していかなければならない。利用者を躾けていけばいいと言うかもしれないが、それほど図書館は強いお役所ではない。

 だからワシャは中江さんの言っていることが妥当だと思われ、百田さんの知り合いがSNSで呟いていることには賛同しかねる。