116の早漏

 昨日、ささやかな祝い事があって仲間と飲む。たまたま、半ば公的な飲み会も重なって、そちらにも顔を出し、義理だけ果たす。今日もひとつ飲み会があって、なかなか忙しい。

 今朝の「天声人語」で、明日が阪神淡路大震災から23年目であることを知る。23年目というのは、取り立てて強調する年回りでもない気がするが、天声人語氏が北海道北見市の体育館で行われた一泊の防災演習に参加したんですね。そのことから書き始め、そこから神戸の大震災に話が発展するのだが、なんで1月16日なんだろう。「明日でいいのに」と思ったが、そうか、日によって担当が違うのか。せっかくの防災ネタなのに、この人、明日の当番ではなかったんですな。替えてもらえばいいのに、こんなところも硬直化しているんだね、朝日新聞(笑)。新聞1面のコラムなんてものは、切れ味とネタの新鮮さである。早く出し過ぎて味を落している。残念!

 でも、コラムの後半で言っていることはまともだ。
《残念ながら、避難所の光景はあれからあまり変わっていない。少し改善されても、新たな土地で災害があると振り出しにもどって関連死を生んでしまう。被災者は体育館の床で雑魚寝するもの。非常時にはぜいたくを言わず我慢しなければいけない――そんな「常識」からいったん脱する必要があるのではないか。》
 まとも、というだけで取り立てていいコラムとは言えないけどね。

 ワシャが防災の仕事をしていたのは、十数年ほど前のことである。防災の部署が新設されそこの係長として異動させられた。すでに阪神淡路から8年が過ぎており、今考えれば「今さら感」が強いが、当時は防災部門をつくるのが流行していたんですな。
そうしたら移動した年の10月に中越地震が起こった。地震直後に現地に入り、ボランティアのひとりとして、被災地を見てまわったが、確かに阪神淡路の教訓が生かされているとはいいがたい状況だったことを覚えている。

 それから能登半島、再び中越で死者を出す地震が続く。東海地震域が愛知県西部まで拡大されたこともあって、防災景気のような数年があった。そして3.11である。みっちりと防災の勉強をしたつもりだった。津波の怖さも知っているつもりだったが、3.11には度肝を抜かれた。ワシャのチンケな防災知識では想像もできない災害だった。
 その後にも防災景気の再来があったが、はてさてどこまで改善が進んでいるのか、心もとないばかりである。

 1日早漏天声人語を読んで、そんなことを思い候。