読書について

 年末に出版された「WiLL」の増刊号、これには引っ掛かった……という話は大晦日に書いた。だから、今年は「Hanada」は買うけれど、「WiLL」は止めておこうと思ったが、いい記事もあるので、なかなか簡単に切り上げられない。
「WiLL」2月号の数学者の藤原正彦さんの文章である。「賢者の風格は読書にあり」と題された文章は、もちろん賢者ではあり得ないワシャにもとてもためになった。ちょっと抜粋しておく。
①《「情報」を新聞、雑誌、本などを読むことで「知識」に格上げする。その上で、様々な分野の知識を統合し、体験や情緒を加え、「教養」にまで高めないと立派な価値観は生まれない。》
②《選択能力は、読書によって培われた教養なしに手に入れることはできません。》
③《読書によって歴史を学んでいないと大局観は生まれない。》
④《国を統治する最良の手段は、上杉鷹山のような天才的リーダーによる独裁です。ただ、ほとんどの独裁者は金正恩や習金平などどうしようもない連中ばかり。天才的な独裁者を選び出す方法がないから、民主主義を採用しているだけです。》
⑤《大局観を持った国民が、大局観のある政治家を選ぶということ。つまり国民が読書を放棄して大局観を持てなければ、民主主義国家は機能不全に陥ってしまう。》
 要するに藤原さんは「日本人よ、もっと本を読め」と言っている。

 そのことについては作家の日垣隆さんも「本を読む人間が減少してきた今こそ、本を読むことの優位性がある」というようなことを言っておられた。日垣さんは、30年ほど前に作家・ジャーナリストのトップ集団が「月に100冊」ということを知って、自分がそれ以下の読書量ならば、トップにはぜったいに追いつけないことを自覚し、それ以上の冊数の読破を自らに課したという。おそらく今でもトップ集団にいる方々はその程度の読書は当然のこととしてやってのけているだろう。
 普通の人には月に100冊はなかなか難しい。なかなかじゃないか。かなり難しい。15年前くらいに100冊/月に挑戦したことがあったが、それはそれは大変だった。仕事以外の時間はすべて読書につぎ込んで、最後の1週間は有給休暇をとって寝ずに読んで、ようやく1回だけ達成した。次の月からは、その反動でマンガばっかり読んでいたものだ。今ではそんな無謀な挑戦は体力的にも時間的にもできない。しかし、それをあっさりとこなす人はいる。それが知識人(本物の)と言われる人たちである。

 藤原さんの話にもどす。藤原さんは「WiLL」の読者にそれほどの極端なことを求めているのではあるまい。ネットやSNSに喰われている時間を少しだけ読書のほうに振り向けましょうと言っているのである。藤原さんは言う。
「無限に存在する情報のうち、99.99%のどうでもいい情報を排除し、いかに有益な情報を選択するかが重要なのです。選択に必要な価値観は、雑多な情報の山からは生まれません」ここから冒頭の①につながっていく。