ギリヤーク尼ヶ崎

 書店からもらうPR誌はいつもリビングに積んである。新潮社の『波』はノンフィクションライターの野村進氏の「多幸間のくに」を楽しみにしている。山陰地方のルポルタージュで、出雲に身内がいて何度か足を運んでいるので現場のイメージがしやすいからね。
 昨日、8月号をなにげなく眺めていたら、宗教学者山折哲雄さんが書評を書いておられるのを見つけた。佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』だった。ありゃりゃ〜、先月に開催した読書会で東京から参加した友人が推薦してくれた本なのだが、ここに出ていたのか。ワシャがPR誌にちゃんと目を通していなかったので友人の後塵を拝してしまった。山折さんの推薦で佐藤さんの本なら絶対に買っていた。そうしたら「もう読んでるもんね」とエバれたのに〜残念!

 それでというわけでもないのだが、積まれてあるPR誌にしっかりと目を通していたら、これにぶち当たった。岩波の『図書』10月号である。これに「まだ踊れる」と題した文章が載っていた。書いたのは、ギリヤーク尼ヶ崎。本人は大道芸人と言っているが、舞踏家である。「YouTube」で「ギリヤーク尼ヶ崎 東日本大震災追悼」を検索してほしい。被災地気仙沼の瓦礫の中で踊る祈りの人が現われると思う。これを見るたびにいつもワシャは泣く。見たことにない人はぜひ会ってくだされ。
 生のギリヤーク尼ヶ崎さんを見たのは一度だけしかない。新宿の副都心だった。その時は尼ヶ崎さんのことを知らないから「東京には変なパフォーマーがいるんだなぁ」くらいの認識しかなかった。でもその印象は時間が経つにつれ強烈に甦ってきて「彼は誰だ」と思うようになり、調べてみると彼が「ギリヤーク尼ヶ崎」という舞踏家であることを知った。
 それから幾星霜、ギリヤーク尼ヶ崎さんもお年をめされた。87歳。しかし存在感はどんどん増して精霊、物の怪(笑)、仙人、神に近づいていると思う。
 ひたすら大道で踊っておひねりをもらって生活をする。生活をするというより踊り続けるために大道で踊って糧を得る。ギリヤーク尼ヶ崎さんは言う。
「母は平成三年にくも膜下出血で亡くなりますが、僕の踊りを一度も見てくれませんでした。でも僕にとっては、道(路上)が舞台です。悪いことだとは思っていません。」
 ギリヤーク尼ヶ崎さん、お母さんには認められなかったかもしれないが、街頭で踊り始めて来年で50年になる。未だに踊ることにこだわっている。すごい人だということは世が認めている。

 ただで書店からもらうPR誌とはいえバカにしてはいけなかった。時には妖怪や神がひそんでいる。