人は見た目が何%?

 朝日新聞のオピニオン欄で始まった特集である。今日で3回目、合計5回の連載となっている。
 1回目は朝日新聞がこう問いかける。
《もっと見た目がよければよかったのに……。そう思ったことはありませんか?「見た目より中身だ」と言われますが、本当でしょうか?》
 国政や都政では、確実に「見た目」を重視するようになってきた。公明党などは浜四津敏子氏あたりから確実にその路線を採ってきたし、共産党もそれに気がついてイケメン・ビジョ候補に舵を切った。老け顔、悪党面はそもそも候補者になる段階で、世襲議員であるとか、見てくれ以外の長所とか、そういったものがないと落とされる。色男、美人、若い、背が高い、スマート、高学歴、有名人、このあたりが大衆の求める政治家像になってきたか。
 
 天野祐吉さんのずいぶん前のコラムに「政治家の顔」について書かれたものがある。少し引く。
《芸能人じゃあるまいし、政治家は顔じゃない、中身だ、と怒る人もいるだろう。が、顔も中身のうち、中身というのはおのずから顔に出るもので、それをわからせてくれたのが、テレビというものの効用だとぼくは思っている。》
 昭和59年のコラムなのだが、30年が経過し、テレビの効能が出過ぎてしまったような気がする。

 朝日新聞の特集の3回目は、八王子市議で「美人市議」として名を馳せた佐野美和氏が登場する。この人は見た目重視派である。
 昨日の投稿(2回目)の中にも、明らかに自分を美人だと認識している人のものがあった。それも含めて内容を吟味したい。
 まず、佐野氏。市議選に臨んだ時のことをこう言っている。
《見た目を武器にしたこと自体は良かったと思っていますよ。(中略)「美しい」と思われることが、その人の話を聞いてみるきっかけになるかもしれないですよね。》
 次に美人の投稿者。
《特に何もしなくてもそこにいるだけで、人は寄ってきて自分の中身より高い評価をしてくれます。》
 確かに二人の言うとおりだろう。第一印象ということでいけば、イケメン、美人に軍配が上がる。でもね、容姿に惑わされる人間ばかりではない。
 容姿、見た目、格好などは、良いほうがいい。しかし、この第一印象を乗り越えて、第二印象を良くすると、これがまた高得点となる。
 例えば、寅さんだ。「男はつらいよ」の車寅次郎である。ヤクザな商売をして全国を渡り歩いている。目つきは鋭く、喧嘩腰になると獰猛な顔つきになりなかなかの迫力だ。見た目は、はっきり言って良くない。道ですれ違えば、避けたくなる雰囲気を持っている。ところがその本質は、悲しみを抱える人にとても優しい男なのである。
 千人の群衆がいて、その中に寅さんが混じっているとしよう。その目の前でお婆さんがつまずいて転ぶ。「大丈夫かい」と最初に手を差し伸べるのは間違いなく寅さんなのである。この本質、中身と言ってもいいが、これに触れた時、リリーのような美女たちが寅さんに惚れてしまうんですね。
 寅さんはブ男だ。顔は四角いし、目は細い。鼻筋も通っていないし、眉もゲジゲジだ。しかし、ひょいとした弾みに、とんでもなく色男に見える時がある。共演する二枚目……沢田研二布施明などをくってしまうことがある。この魅力こそが中身の力ということなのだろう。
 佐野氏はこうも言っている。
《見た目だけで戦おうとするのは時代遅れ》
 美人投稿者もこう断言する。
《もっと中身を耕すことが出来なかったのかと後悔の念にかられてるのも事実》
 容姿端麗な人たちも賢明なかたは気がついているのだ。

 そうそうこの間、岡崎のスーパーですごい美人に出会った。年の頃なら80代半ば。白い髪を後ろにひっつめて鼈甲風のクリップのようなもので留めている。服もスカートも茶色っぽかった。あんまり覚えていないんだけど、地味なお婆さんらしい服装で、それこそ周囲にいる老人たちと同様である。
 ただそのお婆さんが黒のローファーを履いていたのが印象に残った。お洒落だった。後ろ姿で髪型を見て、清潔そうな服装を見て、足元を見てから、お顔を拝見した。めっちゃ綺麗な老女である。すげぇ、こんな年の重ね方もできるんだ、と驚いた。おそらくこのお婆さんの来し方がとても素敵だったのだろう。
 人は見た目ではなく、生き方だと思った。

 午後から仕事でヤンス。行ってきま〜す。