池波正太郎

 昨日のNHKBSプレミアム。『雲霧仁左衛門』のシリーズ3の最終回だった。雲霧(盗賊・中井貴一)と安部式部(火付け盗賊改・國村隼)の火花を散らすサスペンスドラマである。原作は池波正太郎、だからキャラクターがよく立っている。キャスティングもよく合わせた。主役の二人もそうだが、脇にも顔ぶれが揃っている。春風亭小朝が悪役の藤堂家家老を熱演している。伝統文化評論家の岩下尚史氏は負けてはいられませんぞ(笑)。
 つまらぬところに話がいってしまった。池波正太郎のことである。ワシャは司馬遼太郎のゆるぎないファンであるが、池波正太郎もかなりはまっている。書棚に占める割合も司馬が断トツで、次いで池波、三位同率で山本周五郎藤沢周平といったところか。この4人の著作だけで本棚が3本埋まっている。
 ああっ池波さんのことだった。この4人の他にもいろいろな大小説家の本を読んでいるが、その中でもっとも親近感のわく作家が池波さんである。どの人にも会ったことはないのだけれど、エッセイや人物評などからにじみ出てくる「よさ」みたいなものが、池波さんなのである。飲み屋のカウンターでばったり会って楽しそうなのは池波さん、それは確信があるなぁ。司馬さんだと、飲み屋のカウンターではなく、同じ飲み屋なのだけれど座敷で、何人かの人間で司馬さんを囲んで座談を聴くという風景になる。その点、池波さんはカウンターで一人で飲んでおられて、その隣に偶然座ったりすると、話が合いそうな気がする。池波さんは、とてもシャイな方で、隣に人が来たりすると、店やその客のことを慮ってさっさと退散するのだそうな。とても気働きの鋭い繊細な人だった。だったらこっちも気配りにかけては年季が入っている。雲霧と安部式部のように一手手合せを願いたかった。格が違うか(笑)。雲霧と下っ引き、逆なら、コソ泥と安部式部くらいの差があって大笑いでしたね。
週刊朝日」の編集者だった重金敦之氏の池波評を引いておく。
《パーティーなどで、初対面の作家を紹介されると、腰を屈めてはにかみの表情を湛えながら低く叩頭した。遠くから一見すると、やや遜りすぎではないかとも思えるのだが、決して卑屈ではなかった。(中略)相手がどんなに有名であろうが、街場の食堂の料理人であろうが、変わらなかった。》
《池波さんは、まさに「気配り」の人だった。「気働き」という言葉を池波さんはしばしば用いたが、「気働き」とは、二つ以上のことを同時に行うことだと思う。》
 これは作家の吉村昭さんの池波評。
《友達をからかうのが巧みで、相手が怒ると、笑いながら一目散に逃げてしまう。それでいながら、再びその友達と親しくなるような少年が、そのまま大人になったような感じが池波さんにあった。》