戦争反対に決まっている

 戦争はあってはならない。心よりそう思う。しかし戦争になることはある。80年前の日本がそうだった。敵と味方、どっちが善とか悪いとかという単純な話ではない。国と国の間には時としてそういう状況が生じる。そこには複雑な政治状況や、国家間の思惑や、ときとして一人の嫉妬深い独裁者の存在などが引き金となる。国際政治は複雑なタペストリーであり、一旦、混乱が生じれば一国の努力のみで簡単にほぐせる問題ではない。たまたまその時代に日本人としての義務を果たした若者、太平洋で、あるいは大陸やインドシナで戦った私たちの父祖たちを、ことさらに貶める必要がどこにあろう。トレイターはどうでもいい。普通に日本が好きな人はこのパラオの事例を見てほしい(音楽が流れます)。
https://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A&feature=youtu.be&app=desktop
 歴史を美化しようということではないのだ。ただ現実に、パラオをはじめとして日本統治をうけたところは親日が醸成されている。儒学を曲解し国教とした国々がどうであるかはご案内のとおりですね。
 戦況が悪化したパラオで、日本に親愛の情をもっていた現地の人々が「俺たちも一緒に戦わせてくれ」と日本軍の守備隊長に申し出た。それに対し隊長は「帝国軍人が、きさまら土人と一緒に戦えるか!」と一喝した。もちろんパラオの人たちはこの発言で日本軍に愛想をつかし、戦場となる基地の島ペリリューから本島に避難した。しかし、避難船が岸を離れた時、人っ子一人いなかった浜に日本兵があふれ、離岸する船に手を振り、パラオの人たちと一緒に歌った歌を合唱したという。
 隊長の本心は「嫌われてもいいので現地の人たちを戦闘に巻き込まず無事に本島に帰還させたい」その一心であった。
 これを美化された話だと思うだろうか。ワシャはそう思わない。ワシャがその守備隊長と同じ状況に置かれても、そうした行動をとっていたと思う。ワシャは普通に度胸のないオッサンで、自分は楽をしたくて、人を妬む心も持っているけれど、それでも日本の長い歴史・文化に育まれてきた日本人である。だからこの隊長の気持ちが解る。
 隊長は逡巡したであろう。アメリカの圧倒的な火力の強さを知っているし、戦争末期の日本のお粗末な兵站も熟知している。味方は一人でも多いほうが心強い。それも現地の人たちがむこうから申し出てくれている。しかし、ここで彼らを巻きこんでは「日本人としての矜持」が守れないと意識したのであろう。間違いなく、自分がその時の司令官であってもそう決断をする。我々は軍人である。国土を防衛する責務がある。パラオの人たちを守る責任がある。だから心を鬼にして「お前たちと一緒に戦えるか」と言い放ったのだ。そんなことは戦場のいたるところであった。
 反対に、己の保身しか考えない軍官僚もあまた存在した。子供の頃から「村一番よ優等よ」と言われ続けた秀才エリートはあまりにも役に立たなかった。平時にはそれなりの存在価値があるのだが、危機存亡のときには、まったく箸にも棒にもかからない。これはワシャの僻みではなくて、歴史をたどれば実際にそのとおりである。直近では、東日本大震災の東電本社がそうであったし、トランプ勝利前後の外務省がそうだった。まぁいいや、試験官僚(軍人も文官も)の悪口を言い出すと止まらなくなるからね。
 話をもどす。日本軍のたたき上げの士官や学徒動員された若き尉官たちのことである。彼らの中にはまともな兵隊が多くいた。そりゃ中には強姦魔みたいなゲス野郎や、嘘ばっかり言うホラッチョ吉田清治みたいな兵士もいたでしょう。でもそれは日本軍という組織だけではなく、世界中の軍隊にもいるし、現在でも大手企業や公務員・教職員の中にも紛れている現実を見よう。組織の中にはある一定数のゴミが混在するのは止むを得ない。日本軍にだけ悪いやつがいたということではない。まともな人、毅然とした人、凛とした人も多かった。真面目さの割合から言えば、世界トップの軍隊だった。それはどの文献、戦闘記録を見ても明らかな事実だ。例を挙げよう。司馬遼太郎だって小津安二郎だって李登輝だって日本陸軍の兵隊だった。小野田寛郎バロン西も武器をもって闘っていた。そんな例は枚挙にいとまがない。日本人は、まず父祖を貶める前にそういった事実を知っておかなければならない。