なにが危機なのか

《<中比首脳会談>仲裁判決棚上げ合意 南シナ海、対話再開》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000124-mai-int
「棚上げ」だ。40数年前に田中角栄訒小平の間で「棚上げ」された尖閣諸島は、今では大変なことになっている。日本のように国力のある先進国ですら、アメリカを頼らずして支那中国と対峙できない。申し訳ないが、フィリピンの政治レベル、国力でアメリカと手を切って単独外交でやっていけると思っているところが、未開の人と言わざるをえない。国際政治はドゥテルテ大統領が考えるほど単純ではないのだ。ここで「棚上げ」されれば、南シナ海は長い舌に呑みこまれる。そんなことも理解できないのか「ド」ゥテルテという「人」は。これを縮めて「ド人」としてはならない。左筋の人に怒られるから。

 琉球新報は話をこじらせようとしている。
《連綿と続く沖縄蔑視 「人類館」、沖縄戦、日本復帰後も》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161022-00000004-ryu-oki

 1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会琉球人、アイヌ人、台湾先住民などに民族衣装を着て「展示」したというもの。それは確かに失礼だった。人権の問題もある。しかし、100年前のことである。日本自体も人権に対して無知だったし、世界が差別に満ちていた時代のことではないか。現在の日本人が――ヤマトンチューと言い換えてもいいが――どれだけその時代の差別感情を維持しているのだろう。おそらく一部の極端な右にはあるのかもしれないが、ワシャにはそんな気持ちは微塵もない。
 おそらく「土人」と言ってしまった若い機動隊員も、深くは考えていなかった。「バカ」というのは憚かられるし、「おまえのカーさん」が出べそかどうかも確認していない。「でも悔しいからなにか言ってやりたい」というところで思いついてしまった、その程度の話ではないだろうか。

 なにしろ若い機動隊員のひと言ばかりを論って、そこで彼らを口汚く罵っていた老人たちの雑言についてはおとがめなしというのはフェアではない。偏っているとしか言いようがない。そこでなにが行われていたのか、どういう状況でそういう結末になってしまったのか。
 名作の「シェーン」だって、ラストだけ見れば、流れ者が酒場に乗り込んで、楽しく呑んでいる人たちを撃ち殺して逃げていく。その後ろ姿に少年が「シェーンカムバック!」と叫んでいる……っていう話になる。
 もう少し全体を俯瞰する努力をしようよ。

ドゥテルテ大統領という人、略して……略さないけれど、その人が南シナ海の風雲になりそうな予感がある。東シナ海中共の動きや北朝鮮の動向も危険だ。そういったことこそ真っ先に時間を割いて国民に知らしめるべきなのに、「人権」の旗のもと言葉ひとつを追い駆けまわし追いつめ血祭りに上げて大騒ぎしている。そんなことをしている場合か。