ムーンライト・セレナーデその3

 昨日、家探しをして本を見つけた。篠田正浩『私が生きたふたつの「日本」』(五月書房)である。第2章に《司馬遼太郎と「瀬戸内少年野球団」》という項があった。そこに、正月の訪問客を逃れて京都のホテルに逃げ込んだ話がある。そこで、やはり同様に東大阪から避難していた司馬さんに偶然会ったのだそうな。そこで誘われて祇園へ飲みに行ってこう言われた。
「キミの映画、暗いよ。ずっと観てるけど、暗いよ」
 この一言が、篠田映画を明るい路線へと誘導した。篠田さんがこの正月に司馬さんに会わなければ「少年三部作」は世に出なかった。
 もう一冊、本を見つけた。阿久悠『飢餓旅行』(講談社)。これが「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」の原作である。この小説の「寂しい人々」という章に、その後の「ムーンライト・セレナーデ」につながっていく重要なフレーズがある。主人公の家族が神戸を出港し、瀬戸内海を別府に向かって航行している夜の話である。
《何もない冬の夜に、月の光だけが贅沢だった。月光は海に映えると、鈍く、しかし、奥深い輝きを見せ、まるで原始の時代そのままの神秘と怖れを、人に抱かせるのであった。》
「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」があったからこのフレーズが輝いて見えたのだろうが、阿久さんのイメージと篠田さんの記憶がドンピシャと重なったことにも感動した。この文章で映像のテーマが確定し、音楽も篠田さんが岐阜の廃墟で聞いた「ムーンライト・セレナーデ」になることは運命だったともいえる。多少の創作が入っているかもしれないが(笑)。