産経新聞のコラム「産経抄」は何の手続きをすることなくここで読める。
http://www.sankei.com/column/newslist/sankeisyo-n1.html
朝日新聞もこの間まで当日分と前日分はすんなりと見せてくれたのだが、今は「無料登録」という手順を踏まないと全文を読めない。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12261518.html?ref=tenseijingo_backnumber
朝日新聞のデジタル版は「チラ見せのストリッパー」とよく揶揄されていたが、看板コラムまで「手続き」を求めるとは、地に落ちたかオピニオン紙。
さて、昨日の「天声人語」である。
《40年以上前、中学入学と同時に頭髪を丸刈りにさせられた。わかっていたこととはいえ、嫌だった。当時は同じ目に遭う同世代がまだ少なくなかったが、長髪が許される学校も増えていた。うらやましかった▼自分の体なのに自由にできない。基本的人権の侵害だ。多くの訴えを受け、丸刈りの強制は徐々に減っていった。あれが…》
読めるのはここまで。全部文600字のうち150字だけ。「看板コラムを読ませてやるのだから手間をかけろ」とは、さすが上から目線の朝日新聞。
まぁいいや。
ともかく、昨日のコラムは天声人語氏の40年前の回想から始まる。この記述からすると、ワシャと同年代の人のようだ。もちろんワシャも田舎の中学校だったので丸坊主にされた。しかし、天声人語氏のように「基本的人権の侵害」などとは思わなかった。確かに恥ずかしかったが、みんながそうするので、そういうものかと納得していた。なんだか大人へのステップを上がるような気もして、身が引き締まった思い出がある。
《あれが…》のあとを続ける。
《…何より罪深かったのは、下校後も休日も生徒は丸刈りのままだという点だ。自宅でも街中でも。》
なにが罪深いのだろう。下校しようが、風呂に入ろうが、繁華街に行こうが、髪が伸びるわけがない。そんなことは当たり前じゃないか。そしてこう決めつける。
《校則にすぎないのに、彼らの全生活をくまなく拘束した点だ。》
「校則」と「拘束」をひっかけて悦に入る姿が目に浮かぶ(笑)。
天声人語の言うとおり坊主頭は「校則」に過ぎなかったのかもしれない。しかしガキがはじめて体感する「ルール」でもある。それは「決まっていることは守る」ということであり、「罪深かった」と嘆くほどのことではない。
針のようなことを棒のように言う。相変わらずの駄コラムだ。