カルピスコーラ事件

 後輩のゲンちゃんは、ワシャの一級下では最強の男だった。高校生のくせに苦みばしったいい男で、喧嘩もワシャより強かったなぁ。でもね、高校時代の先輩後輩の上下関係というのはけっこう厳しい。
 中学校を卒業したばかりの高校一年生が、出会ったばかりの上級生を見上げると大人に見えたものだ。その体格差はいかんともしがたい。
 ゲンちゃんでも入学式ではかわいらしい少年だった。かわいらしい少年なりに突っ張ってはいたんですね。
 たまたまゲンちゃんを私鉄の駅前で見かけた。同級生の少年とつるんでいた。二人とも高校生になったばかりなので、短い髪の毛(中学まではボーズ)を一所懸命にバックにしていたものである。ズボンもやや太めくらいのおとなしいものだった。いかにもちょっかいを掛けてくれといわんばかりの二人だったので、やさしい先輩は心配をして声を掛けたのである。
「よう」
 ゲンちゃんが振り返った。当時、上背はワシャのほうがあったし、スカマンも格段に太い。それにツッパリのセンスが1年分胴にいっている。
 ゲンちゃんの目が束の間泳いだ。どこぞのチンピラ高校生に声を掛けられたと思ったんでしょうね(そのまんまですが)。
「おまえA高校の1年生だな」
「はい」
「こんなところでうろうろしていると工業やJ高の連中につかまるよ」
 ゲンちゃんは、ワシャのハイカラーについているA高の校章をみつけてホッとしたようだった。
「おれ2年のワルシャワね」
 そう声を掛けて、あとはズッチャラズッチャラとスカマンを翻して、常連の喫茶店に入っていった。
 その後姿が格好良かったんでしょうかね(馬鹿!)。翌日、学校の渡り廊下をズッチャラズッチャラ歩いていると、ゲンちゃんのほうから声がかかったものである。
 それからワシャの弟分みたいになって、どこにいくにもくっついてきた。

 ゲンちゃんはどんどんと成長した。体格はワシャより良くなって、根性もすわってきた。他校の不良と喧嘩をしても連戦連勝だった。いつの間にか上級生よりも名前が売れて、工業もJ高もゲンちゃんを避けるようになった。でもね、三つ子の魂百までではないが、高校入学からかわいがっていたワルシャワ先輩の恩は忘れなかった。卒業してからも敬意をもって接してくれたものである。

 おっと、カルピスコーラ事件だった。ゲンちゃんからの相談は、ゲンちゃんの2つ下の妹のことである。ゲンちゃんは色男だったが、妹は普通の娘だった。性格はいい子なんだけどね。
その妹にゲンちゃんの友人の凸山(仮名)が手を出した。当然、ワシャの後輩でワルシャワメンバーの一人なんだけど、なにしろ女に手が早い男だった。
そいつも少しの間でもいいから妹と付き合えばよかったんだが、妹に手を出した翌日には隣町の女子高の生徒といちゃいちゃしているところを見られてしまった。そうなるとゲンちゃんも納まらない。ワシャはグループ内での暴力沙汰は厳禁していたので、ゲンちゃんは妹の仇を討てない。だから、ワシャにこう言ってきた。
「先輩、凸山に盃を返してください」
 おいお〜い、ヤクザ映画じゃないんだから。そんなことするわけないでしょ。
だけど、ゲンちゃんにしてみれば真剣だった。ワシャが凸山を除名すれば、グループ外の人間になるから、殴っても先輩の顔をつぶすことにはならない、そう考えたのだろう。
 事情はわかった。でも暴力反対のワシャは、田嶋陽子のように「話し合いで解決しよう」と提案した。ゲンちゃんも取りあえず納得してくれたようだった。

 後日、喫茶Yにグループの主だった者が集まった。当然、凸山も呼び出してある。凸山も薄々察しがついていたようで、隅の方で神妙にしている。ワシャは店の奥のボックス席に座って、カルピスコーラを注文した。そのカルピスコーラで少し喉を潤すと、こう低い声で言った。
「凸山くん、こっちへおいで」
いや、そんな言い方ではなかったな。
「凸、こっちゃこいや」
 こんな感じだったか。
 凸山は、ボックス席のワシャの前に座った。
「ゲンの妹の話だが、言い訳があるか」
しばらく凸山はなにも言わなかったが、とつとつとゲンの妹への謝罪を口にした。まぁそこまで反省しているなら、仲間内のこともあるし、これで手打ち(ヤクザじゃないっちゅうーの)にしようという雰囲気になり始めた。
それを本人も感づいたんでしょうね。だんだん調子にのってしまった。
「だけどね、オレが一方的ということでもないんですよ。ブリ子(仮名)が」
 と、妹を呼び捨てにしてしまった。ゲンちゃんの眉間にしわがよる。調子にのるな凸山。
「ブリ子から誘ってきたんですよ、先輩」
 言っちゃった。
 次の瞬間、ワシャの前に置いてあったカルピスコーラが、凸山の顔に思い切り引っ掛けられた。お〜い、まだ一口しか飲んでいないんだぞ。ワシャのカルピスコーラをどうしてくれるんだ。
 店内はシーンとなった。もともと他に客はいなかった。要はペラペラと話していた凸山が凍りついたということ。
 ふと手元を見ると、ワシャの左手がワイングラスを握っているではあ〜りませんか。
え?大好きなカルピスコーラをワシャが自分の手で凸山に浴びせたということ??
う〜む、無意識というものは恐ろしい。後輩たちも「カルピスコーラ好きの先輩がカルピスコーラを犠牲にしてまで怒っているとは!」と驚愕の表情を隠さない。さすがにこれには凸山も驚いたようで、「すいませんでした」とテーブルに頭をこすりつけて謝ったものである。
しかしこのことで、凸山も反省が認められ、ゲンちゃんも「先輩がそこまで怒ってくれたなら」ということで和解が成立した。
 ただ、カルピスコーラを飲めなかったワシャは、ボックスシートを汚した角でママさんに叱られて、当分の間、皿洗いの刑に処せられたのだった。めでたしめでたし。