三日連続

 夕べも隣町の西尾駅前で宴席。西尾には緑川という桜の名所があって、その川沿いの料理屋で花見をしながらちょいと一盃ということになった。今年の開花は早かった。桜がこの時期までもつだろうか、という心配もあったが、このところの冷え込みで、緑川の桜はよく頑張っていた。散り初めが少し過ぎたくらいで、川面は見事な花筏になっている。
 満開の桜は艶やか過ぎて、ワシャには少々強過ぎる。そこへいくってぇと恥ずかしげに散り急ぐ桜は風情があって、まことによろしい。裾に花びらをあしらい、ときおりの風に数多の花が空を舞う。盛りを過ぎた桜は、憂いをふくんで趣きがある。
 そこで仲間が手に入れてくれた「獺祭」をキューッと一盃いただきましたぞ。三河湾の肴にうまい酒、ほろほろと夜は過ぎていくのでありました。

 4月4日の日記に、池波正太郎の『おとこの秘図』という長編小説の話を書いた。江戸中期の旗本の徳山権十郎の生涯を描いた佳作である。この人、後に鬼平犯科帳長谷川平蔵のモデルになる人で、魅力的な人物として描かれている。
 ただ、題名にもなっているのだが、権十郎、一つだけ人に言えない趣味があった。それは夜な夜な家人に隠れて書見部屋にこもり「秘図」つまり「エロ画」を描くことを無上の喜びにしていたのだ。
 京都の想い人から贈られた「男女交歓の秘図」の巻物を権十郎は隠し持ってい、それを人に隠れて眺めていたのである。その内に眺めるだけでは飽き足らず、絵の中の人物を、己と想う女に書き直してみようと思い立つ。中村吉右衛門が多岐川裕美の目を盗んで、男女の局部をせっせとカリカリと書きこんでいく姿を想像していただきたい。盗賊改方として獅子奮迅の活躍をしながらも、人知れずそんなことをしてストレスを解消している。なんだかいじらしいというか、男ってそういうものなんですね。

 だが、これは断固として違う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150409-00000275-kana-soci
 ただれた変質者以外の何ものでもない。この男はじかにその毒牙にかけたフィリピンの少女たちは当然のことであるが、教育者としての仮面をかぶって騙し続けた数多くの教え子たち、中には恩師だと思っていた子供もいたかもしれない。彼らを裏切ったその最低の行為は腹を切ったくらいでは償えない。どうする校長先生。