司馬曼荼羅

 陳舜臣さんが亡くなられた。
http://www.asahi.com/articles/ASH1P4711H1PPTFC008.html
 陳さんは大阪外語学校で、司馬遼太郎と知り合った。その親交は司馬さんが亡くなるまで続いている。陳さん、今頃、彼岸で司馬さんに再会し「やあやあ君が旅立ってからいろいろあったんだよ」「どんなことがあったんや」などと楽しく話を弾ませているに違いない。
 陳さんの作品は何作か読んでいる。今、本棚からさっと出てきたのは『夢ざめの坂』(講談社)と『含笑花の木』(二玄社)くらい。探せば、もっと出てくるのだろうが、朝から書庫あさりは大変なので止めておく。ちなみに「含笑花」は「がんしょうか」と読む。
 その『含笑花』に付箋が打ってあった。何に打ったんだろうと思って本をひろげると「司馬曼荼羅」という掌編エッセイだった。この中で陳さんは「司馬遼太郎のような話のおもしろい高僧に絵解きされたなら、お寺参りもたのもしいものになったであろう」と座談の得意な司馬さんのことを評している。いえいえ、陳さんも充分座談のおもしろい方だと聞いていますよ。ご冥福を祈ります。

 
 こちらはちょいと怒った話。
月桂冠糖質ゼロ冷酒」のコマーシャル「パーティー」編
http://www.gekkeikan.co.jp/products/cm/
上記のURLをクリックして下方にスクロールしていただくと「パーティー」編がご覧いただけます。
男1人と女4人が昼パーティーをやっている。呑んでいるのは、当然のことながら「月桂冠糖質ゼロ冷酒」。それをロックグラスで呑んでいる。そこまではいい。しかし、そのグラスに注いでいる器(?)が最悪だ。月桂冠と印刷されたパウチの容器をそのまま冷やして、それはいいけれど、それをそのまま取り出して直接グラスに注いでいる。
 え、なんなの?「ストレート鍋つゆ」を注いでいるのかと思いましたぞ。そんなものから注いで日本酒が美味いわけがなかろう。日本人は器で食う、器で呑む、そもそもそれを完全に否定しているCMである。日本文化、酒文化を否定するようなこんな宣伝をして、月桂冠は大丈夫か。
 萩焼の猪口で含む。漆の盃ですする。杉の香る升で呑む。チロリで注ぐ。備前の片口で差す。京焼色絵徳利でお酌してもらう。
 器で味が変わるのは日本人の常識ではないか。自宅で呑むにしろ、瓶や紙パックからお気に入りの信楽の小徳利に移し替えて、燗酒にして呑んでいる。
 刺し身にしたってそうだ。魚屋で買ってきたものは、パックに乗せられている。そのまま食べれば手間はないが、ちょっとした皿に並び替えれば、見た目も変わろうというものである。目で食う。これも日本文化ではないか。
 日本文化を愛した司馬さんも陳さんも、パウチの器には顔をしかめておられるだろう。月桂冠、地に墜ちるか。