気配

 午前5時50分、まだ夜は明けていない。窓は輪郭が判る程度にほんのりと明るくなっている。新聞を取りに行こうと庭に出た。我家の郵便受けは玄関先の庭の中に、妖怪ポストのごとく立っている。
 玄関を出た途端、右手の庭の植え込みにキラリと光るものがあった。でもそれは一瞬のことで、歩を進めると光は消えた。ポストを開けてみるが、新聞は入っていない。それもそのはず、今日は休刊日だった。そのことを思い出して、手ぶらで玄関にもどる。そうするとね、またキラッと植え込みの奥で光るものがある。あんな場所に光を発するものはない。
「妖(あやかし)か」
 と、目を凝らす。光っているのは植え込みの向こうにある敷石だった。敷石のくぼみに夕べの雨がたまっていて、そこに何かの光が反射している。光源は上のほうだ。見上げれば天空に居待ちの月が掛かっていた。
 な〜んだというお話でした。

 今、6時06分なんだけど、書庫の西の窓から見える空はずいぶんと白々としてきた。夜は消え始めると早いなぁ。
 でね、もう一回、外に出てみた。そうすると植え込みの向こうの敷石はもう光らなかった。少し視点を変えてみたが、小さな水たまりに月は映らない。わずかな時間で、月が動いてしまったのだ。5時50分の光は、ごくごく偶然の賜物だった。なんだかうれしい。

 妖(あやかし)のような話から始まったのでついでに……。
夏目友人帳
http://www.nasinc.co.jp/jp/natsume-anime/archive.html
に「違える瞳」という物語がある。舞台は、タクマという元「祓い屋」と娘の月子の住む屋敷である。タクマはすでに式神――『夏目友人帳』では「式」という。ようは妖(あやかし)である――を使う能力を失っている。それどころか見ることも気配を感じることもできなくなってしまった。タクマは3匹の「式神」を持っていたのだが、その内の2匹がこじれてしまい、タクマと月子に祟りをなそうとする。一匹は家の内に残っていて、その2匹から二人を守ろうとしている。結果として、主人公の夏目貴志ニャンコ先生らの協力で2匹を解放し、めでたしめでたしとなるのだが、物語のラストはいつも少し悲しい。
 2匹はタクマを慕っている。しかしタクマは能力を失っているので、式を見ることが叶わない。そのことを知った式は、寂しく消えていく。家の内の式は、そのことを理解しながらも、タクマのそばに居たいということで、屋敷に残る道を選ぶ。屋敷から去っていく夏目たちに、小さな小窓から頭を下げる女の式。
 見えない、聞こえない、気配も感じない、それは存在していないということと同じですよね。女の式はそれで満足なのだろうか。う〜ん、それでいいんだよね。ニャンコ先生は「もの好きなもんだ」と言っているけれど。

 午前5時50分に玄関を出たとき、天空の月に気づかなかった。気づかず、そのまま家の中に入ってしまえば、夜が明けて、月は消え、その夜、月が存在していたことを知らずに夜は過ぎてしまう。ワシャの中では、その夜、月はなかったことになる。しかし、月は少しだけ気配を投げた。植え込みの奥の敷石の小さな水たまりに「わたしはここにいますよ」と月のかけらを落としたのである。