知的土壌の壊滅

 現在、呉智英さんの本が机の上に二冊並んでいる。一冊は、一昨日紹介した哲学者の適菜収さんとの共著である『愚民文明の暴走』(講談社)である。本物のインテリゲンチャである呉さんと新進気鋭の論客の適菜さんとの対談は、秋山小兵衛と大治郎の立ち合いをみるようだった。ときに太刀筋が早すぎて、ワシャのような凡人には見極められない。
 ただ、適菜さんが「はじめに」で言及した「バカが尊重される世に中」に浸かっているということに自覚的でありたいと思う。本書を読んで、ワシャ自身が、自分は「バカ」なのだということを知るだけでも、少しは世の中がよくなるのではないか、と思って読んでいる。
 もう一冊は『インテリ大戦争』(JICC)である。『愚民文明の暴走』は新刊だが、こちらは、呉さんの原点ともいえる評論やエッセイで、「あとがき」は1983年、つまり30年前に書かれている。
 適菜さんが、『愚民文明の暴走』の「はじめに」で《この三十年間を見渡したときに、一貫して正しいことを述べてきたのは、ほとんど呉智英だけではないのか。》と言っている。まさにその30年を経た書籍なのだが、その内容はまったく古びず、錆びず、正論というのはかくあるべきだと思う。
 こう書きながら今、ワシャの脳裏をよぎったのは佐高信さんだった(笑)。彼の著作は、何冊も読んだけれど、みんなワシャの書棚から消えていった。呉さんの書籍が30冊以上並んでいるのと対照的に……そんなものだよね。
『インテリ大戦争』の中に、朝日新聞の「天声人語」をこき下ろしている文章がある。ワシャは「天声人語」の劣化は21世紀に入ってからだと思っていたが、呉さんの本を読みなおしてみると30年も前から始まっていたんだね。
 1994年に洋泉社から再刊された「あとがき」で《本書を読んで痛快と思ったりゲラゲラ笑えたら、本書がおもしろいのではない。知的土壌が十余年何も進歩していなかったからである。》と呉さんは書く。そこから20年、知的土壌は進歩どころか、壊滅の危機に瀕している。こんな時代だからこそ、呉さんの正論に耳を傾けたい。