本を読む

「文藝春秋」の5月号に、山折哲雄藤原正彦福田和也島田雅彦の四氏による《世界遺産に残したい「不滅の名著」百冊》という特集がある。本のラインナップは「文藝春秋」をご覧くだされ。
 その百冊の一部はワシャの本棚に収まっている。何冊を読んでいるのかを調べていたら時間がかかってしまった。
 四氏が薦める本の内38冊を持っていた。しかし62冊は持っていない。つまり未読である。中でも福田氏の推薦本は25冊中3冊しか読んでいなかった。打率1割2分である。とくに歌舞伎や文楽について論じた『芸十夜』『かぶき讃』『浄瑠璃素人講釈』など落としていたことは痛恨だ。さっそくネットで注文しておいた。
 それにしても、知の蓄積は膨大だ。ワシャの本の師匠は、月に150冊を平然と読んでしまう人なのだが、その師匠自体が「生涯に読めることのできる書籍などたかが知れている」と言っている。ならばワシャなどは、大海の一掬すら読めるかどうか……。
 手に及ばないからこそ、こういった知の巨人たちの頭脳で濾過されてきたものを参考に読書をするのである。

 ここだけの話なのだが、ワシャはあまり熱心な図書館利用者ではない(笑)。それは、本を読むときにラインを引いたり付箋を打ったりする習性があるからである。もちろん公共物である図書館の本にそんなことをしてはならない。それに、付箋を打ったりして内容を理解した本は、外部脳として手元に置いておきたいのである。だから基本的に本は買う。
 ただ、しがないサラリーマンなので、高額な本については、一旦、図書館で借りて内容を確認する。例えば、『松岡正剛千夜千冊』(求龍堂)などは、全8巻で10万円である。これは手が出なかった。だから当初は図書館で借りていた。しかし、2週間ごとに厚さ50センチもある本を一々図書館まで運んでいって返却・借用を繰り返しているうちに、その重さでようやく、「腰」が買う決心をした。とりあえずこんなかたちではあるが、高額な本については、まず図書館を利用している。
 図書館と新刊書店がバッティングするようなことを書く人もいるし、一時期、NHKでもそんなようなことを騒ぎ立てていたが、まずフリーに図書館で本に親しむことで、読書の楽しみを知って、そこから本を購入する段階に進むこともあるのである。裾野を広げれば自ずと本購入の山は高くなる。
 今後、図書館と新刊書店との連携は深くなるものと確信している今日この頃なのだった。