酒について

「あったどー!」
 書庫を探しまくって、やっとのこと『藤城清治 光と影の奇蹟』(美術出版社)を見つけましたぞ。昨日の日記で、影絵作家の藤城清治について触れた。それが気になって気になって……。心当たりの棚をあっちこっち引っ掻き回していたら奥のほうから出てきたのである。そうそう数年前に隣町の書店で買ったんだった。
 昨日、お話しした「枝葉がうっそうと生い茂る大樹の中を、月光が突き抜けて、その根元でチェロを弾く小人を照らし出している幻想的な影絵」というのも載っている。作品名はそのままの「月光の輝き」だった。

 その本を探していたら、別の本も釣れてしまった。題が気になったのと、付箋がついていたので、ちょっと確認をしようとしたのがまずかったわい。ついつい読み始めてしまった。これだからワシャの資料探しや片付けは、一向に進まない(泣)。手にしたのは、斎藤茂太『笑って大往生』(講談社)である。適当に付箋のところを読んでいると、酒についていいことが書いてあった。左党としては都合よく引かせてもらいます。
《あまり大きな声では言えないが、私もときには、酒に申しわけない飲み方をしてしまう。最後のほうになると酒の味もわからなくなってしまうのが常だから、おいしいと思っているうちに杯をふせるのが、酒に対する礼儀だろう。》
 ううう……耳が痛い。宴席だとついつい飲み過ぎてしまうんですね。座がおもしろくないので、酒をあおるくらいしかすることがない場合もあってね。でも、おいしいうちに杯をふせることもあるんですよ。やはり気が置けない友人や、趣味の仲間などと飲むときは、少しの酒でほろほろと酔い、有意義な時間を楽しめる。最近は少なくなってきたけれど、かつては酒を強要することが、当たり前だと思っているバカが多かった。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20061018/
 ワシャは相手の杯やコップが空いていれば注ぐ程度で、意味もなく酒を無理強いしたりはしない。そんなことをしてもなんの益もないもの。
 おっとバカの話をしている暇はない。茂太さんのほうに戻しますね。
 前述の「酒に対する礼儀」にはもう一つある。それは《最初の一杯目に、心から「おいしい」と言う。》ことなのだそうだ。こうすると不思議に、自己暗示にかかってどんな酒でもおいしくなるという。これについては、ワシャも実践していて、日本酒にしろビールにしろ、最初の一杯を飲んだ時に「うまし!」と言うことにしている。よほど変な酒でなければこれで味が変わる。肴も「おいしいね」と言いながら食べたほうが楽しいでしょ。
 これを茂太さんは「魂を自由に遊ばせるための抑制解除作用」と呼んでいる。ううむ、うまい言い方だなぁ。一日抑圧され続けた魂を酒で遊ばせてやるわけですな。

 昔、ヘネシーの宣伝でこんなのがあった。ミュージシャンの忌野清志郎さんが語って、その中に俳優の竹中直人さんが登場する。
《竹中君が来る。竹中君の誘いはことわれない。あんなに元気に酒に誘うヤツは、どこにもいない。あの誘いっぷりには覚えがあるぞ、と考えていたら、小さい頃、家の外から「遊びましょ」と叫んでいた近所の子どもを思い出した。その声がかかると、俺はもういても立ってもいられなかったものだ。竹中君はよくしゃべる。次から次へと映画の話をくり出してくる。楽しくて楽しくてしかたがない「男の子」がそこにいる。それは、昆虫や野球選手のことを夢中で話していた子どもたちと、何も変わらない。もし違いがあるとしたら、今は、日が暮れるかわりに夜がふけ、なけなしの小遣いでかったサイダーのかわりに、あの頃親父たちでさえ口にできなかったヘネシーが、かぐわしくふたりの前にあることである。》
 いい宣伝だった。清志郎さんと竹中さんという上等な大人の交流が目に浮かぶ。子供のように好奇心旺盛なお二人だから、さらに楽しいのでしょうね。

 藤城清治さんの作品に「愛のカクテル」と題されたものがある。
http://www.ddart.co.jp/ainococktel.html
 これです。モエ・エ・シャンドンの瓶が黒を背景にして立っている。その前に置かれたカクテルグラスの中で小人がチェロを弾いている。カクテルの部分だけが背後の光を受けて輝くようになっている。う〜ん、カサブランカ、君の瞳に乾杯。

 今日はまた後程ごあいさつに登場いたします。