東條というリーダー

 一昨日、靖国神社のことを書いた。東条英機が合祀されていることも含めて肯定している。しかし、東條という人物を許しているわけではない。リーダーとして鳩山由紀夫管直人と同様に無能だったと思っている。
 支那中国や韓国の人が東條をしてヒトラーと並べることがあるけれど、ヒトラーとはまったく別物である。
 ヒトラーは才能のない画学生から兵隊に転じ、最終的に伍長になるのが精いっぱいだった。かたや東条は、陸軍将官の家に生まれ、英才教育を受けたエリート軍人である。
 ヒトラーには異常性格の部分が見受けられ、そこがかえって巧みな弁舌や権謀術数の才能を引き出した。このことがヒトラーを権力の頂点に一気に駆け上がらせることになる。一方の東条は、あくまでも律儀な秀才でしかない。要するに出来のいい小役人でしかなかった。ヒトラーは悪役としても超一流だが、東條は神経質な吏員の域を出ることはない。
 おもしろみのない東條のエピソードにこんなものがある。自分の部下が一つの行動から次の行動に移るのに、何秒かかるかを懐中時計で計ってみたり、中隊長、大隊長に異動になると、必ずその兵営の裏側の汚れや、台所の残渣を見回ったという。そんな些末なことは下士官に任せておけばいいのだが、この小心で神経質な男は自分がやらなければ気が済まなかった。そんなちまちました英雄はいないし、大悪人と言うには程遠いキャラクターだろう。
 司馬遼太郎は東條を「旧制中学の生徒監を連想させる」と言っていた。
「これが一国の首相かと思われるほどにおろかな声、内容、陳腐な言葉の羅列による演説が、いまでいえばちょうど葬儀屋のスピーチとおなじメリハリの調子でもってラジオ放送されていた」と厳しい。ドイツ人民の気持ちをわしづかみにしたヒトラーの演説に及ぶべきもないし、その本質はまったく異なるものである。
 つまり、支那中国や韓国のいっていることは的外れもはなはだしいということが言いたい。