豊橋散策

 土曜日に所用で豊橋に行く。少し時間があったので、友だちを誘って吉田城を目指す。
 吉田城については、5月6日の「設楽ヶ原散策」
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130506/1367800104
でもちょいとふれた。
 あの時は、橋から「東海道五十三次」の構図で眺めた。こんどは吉田城の縄張りの中に入ってみようということになった。豊橋市役所南西の交差点の歩道橋を渡っている。台風一過でもないのだろうが、風が立ち、歩いていて心地よい。
 すでにこの交差点が吉田城の郭内になっている。現存はしていないが、外堀はもう越えているはずだ。詳細な地図がないので特定はできないけれど、市役所南の国道1号あたりは武家屋敷が並んでいただろう。
 少し吉田城の縄張りを説明したい。豊川と朝倉川の合流地を背に本丸がある。そこを要にして二の丸・三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の城である。ただし、河川側は弱いと見て、本丸と河川の間に腰曲輪を設け、石垣も高くしてある。
 城域は、東は現在の飽海町から旭町、南は曲尺手町から呉服町、西は関屋町に及ぶ。天正18年(1590)、家康の関東移封にともない、秀吉幕下の池田輝政が15万2000石を持って吉田城に移ってくる。そこで15万石に相応しい縄張りを進めたわけだが、着手した途中で姫路に配置換えとなってしまった。その後の歴代の城主は中小大名だったので、さすがに輝政の規模での整備をためらった。数万石の財政規模ではこの大きさの城は維持、整備できなかったのだろう。ゆえに後世「吉田城は明治にいたるまで未完の城であった」と言われることになる。
 でもね、石垣や堀、土塁などはしっかりと残っていたので、往時の様子をイメージすることは容易かった。木々も多く、木陰がふんだんにあったので散歩にも快適なコースだった。あ〜楽しかった。
 夕方から豊橋駅前で、ちょいと一盃。いやーホヤとコノワタの和え物が絶品でしたぞ。エイ肝を山葵でいただくのも、これまた美味しく、チロリの熱燗によく逢うんですね。