サッチャー元英国首相が亡くなられた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130409-00000097-san-eurp
また一人、有能な政治家が彼岸へ旅立った。おっと、サッチャー女史はカトリックだから、彼岸には行かないか。
ワシャはまた新しい歩行読書を編み出した。やはり自転車を使うのだが、前カゴにちょうど収まるくらいの高さ20cmほどの箱を入れる。さらにタオルなどでかさ上げをして、その上に本を開く。タオルやジャケットのような布の上だと本が落ち着くんですね。ページはめくれないように両端をクリップで留める。これで準備は完璧。
カバンをハンドルの右側に掛けて、そのハンドルのセンターを右手で握って自転車を押す。昨日は『サッチャー回顧録』(日本経済新聞社)を読みながら通勤しましたぞ。
その『サッチャー回顧録』の中に、こんなフレーズがある。
《全世界にとっての基本的に重要な原則、すなわち何よりも国際法が力の行使に勝たなくてはならないという原則を守ろうとしていたのだ。》
サッチャー女史が首相当時のことで強く記憶していたのは、フォークランド戦争のことだった。上記はそのことに触れて書いている。
これを安倍首相が施政方針演説で引用した。上記のサッチャー発言に言及した後に、こう続けた。
《「海における法の支配」。私は、現在において、「力の行使による現状変更」は、何も正当化しないということを、国際社会に訴えたいと思います。》
そして、安倍演説の肝といえる言葉を紡ぐ。
《安全保障の危機は「ひとごと」ではありません。「今、そこにある危機」なのです。》
その上で、海上保安庁、警察、自衛隊に感謝をしようと国民に呼びかけた。
安倍演説の中に「フォークランド戦争」という単語は出てこない。だが、フォークランド戦争を尖閣問題に喩えての話であることは言うまでもないですよね。
ぜひ、安倍首相にはマーガレット・サッチャーのごとく毅然たる決断をしてもらいたい。それによって歴史に名を刻む政治家になってほしいと思っている。
反対に大馬鹿野郎で名を残すヤツもいる。ワシャがもっとも嫌いな政治屋の仙谷由人である。彼は官房長官当時、よほど話すことに自信をもっていたのだろう。委員会で、指名もされないのにしゃしゃり出てきて、ダラダラと無駄な言葉を垂れ流し、論点をすりかえることをよくやった。結局は本人が思っているほど話がうまくなく、不用意な発言で自爆するんだけどね(笑)。
この人が官房長官時代にやったことは、まさに「今、そこにある危機」を覆い隠すことだった。尖閣海域で、海上保安庁の巡視船に体当たりをしてきた支那中国の漁船のビデオ映像を公開しなかった。その上、海上保安庁が逮捕した船長を、仙谷官房長官が那覇地方検察庁に圧力をかけて釈放してしまった。この人、見た目、発言に比べて肝が小さい。よほど支那中国が怖かったのだろう。
この虚勢ばかりの官房長官が展開した弱腰外交が、現在の尖閣紛争を生みだしたといっても過言ではない。今、他に使うことにできた予算がどれほど尖閣紛争に投入されていることか。すべてが一人の愚かな政治屋の軽率な行動によるものであることを我々は忘れてはいけない。
『サッチャー回顧録』の下巻にこう書かれている。
《共産主義は敗退した。かつての共産主義衛星国には自由が回復された。ヨーロッパの冷酷な分離は終わった。ソ連は改革、民主主義、民族の権利への道を歩み始めた。》
残念ながら、東アジアはこの流れから取り残されてしまった。中国共産党は相変わらず健在だし、朝鮮半島は分断されたままである。本来は日本国が東アジアの改善のために鋭意努力をするべきだった。しかし、仙谷由人に代表される特殊な人々に妨害されて思うようにならなかった。
サッチャー女史はこう続ける。
《ソ連の圧力と甘言に抵抗して西側の強い防衛力を維持した。しっかりとしたヨーロッパの同盟者たちにも賞賛を惜しんではならないだろう。》
まさにこの状況ではないか。支那中国の圧力と甘言に抵抗して、周辺の自由主義諸国は強い連携を図らなければなるまい。このための外交努力を日本が惜しんではいけない。いでよ、鉄の政治家。