応挙

「画を望まばわれに乞うべし。絵図を求めんとするならば、円山主水よかるべし」
 漢画派の鬼才といわれる曽我蕭白がこう言っている。
 画が欲しければオレのところに来い。絵図が欲しいなら円山応挙のところへ行け、これは痛烈な応挙への批判である。

 江戸は化政期、文学も美術も一斉に花が開く。
 読本でいえば「雨月物語」「南総里見八犬伝」「東海道中膝栗毛」。俳諧では「蕪村七部集」「おらが春」。脚本ならば「仮名手本忠臣蔵」「東海道四谷怪談」など。
 美術もすごい。浮世絵の世界では喜多川歌麿東洲斎写楽葛飾北斎安藤広重など綺羅星の如くである。南画の分野では池大雅与謝蕪村に、田能村竹田、谷文晁、渡辺崋山らが続く。
 主観的な内容を重んじた南画に対して、客観的な写生を重んじたのが円山応挙にはじまる円山派であった。円山派に名を連ねるのは、長沢蘆雪、松村呉春などがいる。

 現在では、蕪村は江戸美術史上の最高峰の位置におかれ、入手はほぼ困難だが、当時は一部の好事家の間でしか評価されなかった。だから、蕪村の生涯は貧しかった。
 反面、応挙はというと、対象をそっくりと写し取るといった写実主義が、金持ちの素人衆に受け入れられていくのである。大名、商人、僧侶などから天井画や襖絵の注文が殺到し、このため大雲院という寺にアトリエを構えて、天井画や襖絵を製作していった。いわゆる流行画家と言っていい。求められるままに大量に製作したことが、後に「俗中の俗」と言われる所以かもしれない。

 確かに、蕪村の「夜色楼台図」を観れば、写実的ではまったくないけれど、そこに雪の東山の風景が展開し、その中に灯りの燈った家を見つければ、ほのぼのとした温かさを感じるものである。
 一方の応挙は、例えば「雪松図屏風」を観れば、支那画の写実手法や和の装飾画法をうまく取り込んで、カメラで切り取ったような明快な写実性を見せている。これもこれなりに見事ではある。ただ、味・趣・侘び寂びといった観点から見れば、蕪村に間違いなく軍配が挙がるのは間違いない。

 でもね、ここをご覧いただきたい。
http://museum.daijyoji.or.jp/
 応挙寺と言われている大乗寺兵庫県香美町にある古刹である。ここが応挙系の絵師の殿堂となっている。上のURLをクリックしていただき、少し下にスクロールしてもらって、「客殿めぐり―大乗寺の各部屋を歩く―」をポチッとしてくだされ。間取り図が出てくるでしょ。その左に「客殿検索」があるので、それをクリックしてもらうと、間取り図に作者名の入ったものが見ていただける。
 実は、応挙の応挙たるゆえんはここにある。1枚の絵だけで応挙を鑑賞してはいけない。こういった建物ごと、空間ごと、応挙の作品として見ると、これはこれで趣があるものだと思う。
 誰かがこんなことを言っていた。
「応挙は絵師としてではなく、空間プロデューサーとして評価をすべきだ」
 ワシャもそう思う。

 3月1日から応挙が愛知県美術館に来ている。ぜひ、そういった切り口から応挙を鑑賞してみたい。