秀才バカ・真面目バカの中で生き残る方法

 ワシャは、時々東條英機のことを批判するが、すべてはこの一言に尽きると思う。
「秀才バカというやつは、バカ病の中でも最も難病で、しかも世間にめずらしくありません」
 三島由紀夫が『不道徳教育講座』の中でこう言っている。
 橋下大阪市長も、その著書『まっとう勝負』(小学館)で、「真面目なバカは手に負えない」と嘆く。大阪府大阪市という地方官僚組織の中でご苦労されたのだろう。それほどに秀才バカ・真面目バカは手強い。
 ワシャは鈍才で不真面目なバカなので、秀才で真面目なバカを論ずることをお許しくだされ。

 本を紹介したい。高野誠鮮(じょうせん)『ローマ法王に米を食べさせた男』(講談社)がとてもおもしろい。著者は、石川県羽咋市役所の現役職員である。昭和30年生まれとあるから57歳。肩書はというと、本には「ふるさと振興係課長補佐」とある。定年間際で、課長補佐だからけっして優遇されているとは言い難い。
 しかし、この人、はちゃめちゃな人なのだ。本には「過疎の村を救ったスーパー公務員」とある。まさに公務員のスケールを超えたとんでもない人物と言っていい。
 ただし、真面目な秀才がイニシアティブをとる「役所」というところでは、こういった破格の人材というのは評価されない。そもそも評価する側に、評価をするための物差しがないのだからどうしようもないのだが。
 役所に関わらず、半ば官僚化した組織では、この手の職員、社員というのが冷や飯を食わされる。端的な例が、日本陸軍における石原莞爾だった。東條英機という秀才で真面目なバカを頂点とした組織では、石原莞爾は異端児でしかなかった。まれに石原を評価する慧眼の士もあったが、それでも秀才・真面目組織の中では遠慮がちにしか支援ができない。結果として、量的に凌駕する秀才・真面目団のお歴々の誘導で国家が破滅するところまで行ってしまった。
 敗戦色濃いあの時期に、東條ではなく石原を首班とする内閣が成立していたらどうであろう。あるいは8月15日はまったく違ったものになっていたかもしれない。
 いつもどおり話が逸れた。スーパー公務員の高野さんのことである。
 石川県羽咋市、ワシャも訪なったことがある能登半島のちょうど首のところ、西に日本海を望む。「千里浜なぎさドライブウェイ」が有名なところである。この砂浜を4WDで疾駆したことを思い出しましたぞ。
 東には能登半島の頸椎である宝達丘陵(ほうだつきゅうりょう)があり、このため羽咋の地形は西から東に向かって徐々にせり上がっていく。この丘陵の西側に、いわゆる限界集落が点在する。「これをなんとかしろ」と言うのが高野さんに与えられたミッションだった。
 限界集落問題というのは、なにも羽咋だけの話ではない。山間部を域内にもつ自治体にとっては喫緊の課題と言っていい。あるいは国の大命題と言ってもいいだろう。そんな大きな課題を羽咋市の生え抜きの職員は背負いきれない。そこで白羽の矢が立ったのが、「11PM」などの構成作家という異色の経歴をもつ高野さんだった。
 プロフィールには羽咋市役所に転職したのが昭和59年とある。中途採用とはいってもキャリア28年のベテラン職員である。普通はこれだけの時間があれば尖った角も矯められるものなのだが、高野さんの角はそんじょそこいらの角と違って筋金入りの鋼鉄製の角だった。
ローマ法王に米を食べさせた男』は、そんな突出した公務員の波乱万丈の物語で、こんな部下がいたら真面目なだけが取り柄の上司はさぞやりにくかったと思う。一例をあげれば、高野さんは、とにかくスピードを重んじる。ゆえに事前調整、相談、稟議などいっさい行わなかったそうだ。
「そんなことをしている暇があったら行動する」
 これが高野さんの哲学である。とはいえ、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)をせずにどんどん事業を動かしていくのだから市長をはじめ上司はたまったものではない。少なくとも現在のいかなる組織においても、ホウレンソウは金科玉条なのだから。これを無視するということは組織を否定することに近いかもしれない。しかし、高野さんは断言する。
《私たちに何が足りないのか?行動する力がまったくないんです。知識や情報を持っていても行動理念がない。手をこまぬいて何もしなければ、村は自然消滅します。過疎高齢化する百年嘆き続けても、会議ばかり何度も開いても、多額のコンサルタント費用を払い、きれいに印刷した計画書を千冊積み上げても、村は何一つ変化しないんです。》
 県庁から出向している副市長のことが書かれてある。
《県庁から来た方なので、何事も県庁のやり方を守ろうとする、固い人だったんです。》
 というか、議会に対して無謬を貫きたい幹部というのは、みんなこのタイプなんですけどね。
《こういうタイプの人は事細かくいろいろなことを聞くけれど、なかなか理解しようとはしない。組織の中には理解出来ない人間もいるけれど、理解しようとしない人間もいるんですね。こういう人への説得は、本当に時間や労力のロスが大きい割に身を結ばないこともあって、困るんです。》
 このことから高野さんが体得したことは「上司には、すべて事後報告でスピード化」というものだった。これは、ある意味において正解で、上司に嫌われることを苦にしなければ、事後報告を3度も続けていれば、上司のほうから無視してくれるようになるので、その後は報告すら必要がなくなる。しかし、その時点で出世は断念したほうがいい。どれだけ結果を出そうとも、その職員の勤務評定は最悪だからだ。
 高野さんはまったく気にしていないだろうが、退職間際になっても「課長補佐」という立場が今までの上司の評価を物語っている。

 この書、いささか劇薬である。秀才で真面目な役人には「ヘッ」てなもんだろう。たぶん毒にも薬にもならない。だが、少しでも現状を打破しようとする志のある公務員には危険な書かもしれない。まるまる高野さんの真似をして真似られるものではない。ここまでやるには、それだけのことを動かす実行力と、上司・同僚からどれだけ誹謗中傷されようと立っているだけの精神力と、そして周囲の人間に大きく水を空けられるだけの力量を持っていなければならない。高野さんの真似をする前に、まず自らを鍛え、周囲からの圧力を跳ね返すだけの実力をつけること、これが肝要である。
一足飛びに高野さんを目指すのではなく、とりあえず周囲を見渡すことだ。そうすれば、組織の中で組織のルールに従いながらも、自ら目指すことを実行するために雌伏している人間が必ずいる。その隠れた志ある人を探せ。そしてその人を目指せ。一段一段、階段を上がっていって、究極の高野さんに至ればいい。