鷹が飛んでいる。闘いを終えた鷹は傷ついている。
鷹は拠りどころを探して天空を彷徨っている。
おお、鷹が何かを見つけたようだ。
その嘴の遠い先に、せせらぎに足をひたす美しい女がいる。
鷹は羽を大きく広げゆったりとはばたかせながら下降を開始した。
その女である。
女は花をかたどった対の宝樹の中央に坐し、左手に如意宝珠を持ち、右手は施無畏(せむい)の印相を結ぶ。女と見えたは吉祥天であった。
吉祥天、上空を仰ぎ、鷹を手招く。
鷹はそれに応じ、ふうわりふうわりと舞い降りてくる。そして吉祥天の脇に静かに降り立って、傷ついた羽をたたみ、ゆっくりと吉祥天のもとに歩んでいく。そしてその頭を遠慮がちに吉祥天の膝にのせ、目を閉じるのだった。
吉祥天は右の手の平でやさしく鷹の頭を撫でるのである。
伏鷹吉祥天(ふくようきっしょうてん)。
やがていつの日にか、鷹は復活しまた大空に舞い上がることであろう。それまで、吉祥天の膝でしばし戦士の休息をとれ。
そんな夢を見た。
でも、案外、謎解きは簡単で、昨日、友だちとボストン美術館の「日本美術の至宝」展に行ってきたことに起因しているんですね。
そこで曽我蕭白の「鷹図」を観た。縦165cm横270cmの大きな墨絵である。この印象が強かった。せせらぎに足をひたす女は、やはり曽我蕭白の「龐居士・霊昭女図屏風(見立久米仙人)」の心証か。
吉祥天は、そのまま「吉祥天曼荼羅図」が映じたものであろう。鷹が吉祥天の膝で休息をとるというイメージは、会場で友だちと狩野芳崖の話をしていた。それが福井美術館の「伏龍羅漢図」を想起したのだと思う。
ワシャはせいぜい鳶(とんび)だが、それでも鳶なりに日々闘っている。ときに闘いが長引き傷つくこともある。そんな折には吉祥天の懐に抱かれて安らぎたいと思う。
吉祥天はなかなか抱いてくれぬので、蕭白、探幽、若冲、光琳などの名品に逢いに行く。
蕭白の巨大な「雲龍図」に対峙するとき、日々の些細なことどもはどうでもいいことのように思える。ぜひ、瑣事に悩んでおられる方は蕭白の「雲竜図」に逢いに行ってください。きっと癒されない、おもいきり張り飛ばされたような感じになる。それがまたいいんですな(笑)。