先帝の天長節である。もちろん玄関に日の丸を掲出し祝意を示す。
「はてもなき礪波のひろ野杉むらにとりかこまるる家いへの見ゆ」
御製である。
昭和45年、富山県砺波市で行われた植樹祭にご臨席された折に、散居村の風景を愛でられ詠まれた。
40年前に、昭和大帝がご覧になられた景色と同様に、砺波平野の散居の屋敷林は、今日も翠嵐のごとく輝いていることだろう。
それにしても、4月29日が昭和大帝の誕生日だということをどれほどの国民が意識しているだろう。昭和は遠くなりにけり、ではあるが、我々が日本人としてのアイデンティティを見失ってはいけない。ともかくもこの国は「神の国」であるのだから。
話は、一気にレベルを落とす。人治の国、支那中国のことである。このところの人件費高騰により、外国企業の撤退・事業縮小が始まっているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120428-00000004-jct-bus_all
共産党独裁である。ある意味、どんな規制でもやりたい放題なのだ。フェアな企業間競争は端から保障されていない。国有企業や、共産党幹部の会社は優遇され、国外から参入してくる企業には厳しい規制がかけられる。その上、知的財産権など鴻毛より軽い。これでは、まともな商取引をしようとする企業は逃げ出すに決まっている。残念ながら支那中国には、己が体制の利益追求しかない。そのことにようやく世界が気づき始めた。ずいぶん時間がかかったものだと思うが、それでも今撤退すればまだ傷は浅い。
羊の頭をかざして犬の肉を売る連中とは、さっさと手を切って、親日派の多い東南アジア、南アジアにどんどんと工場移転をしよう。
軍事政権のミャンマーですら、国民がアウンサンスーチーさんを選択できるシステムを持っている。政治体制のレベルから言えば、支那中国よりもミャンマーのほうが上ということである。同じ価値観をもったそういった国に投資し、支那中国からは早々と撤退する、なぜ、秀才ぞろいの経済人、官僚たちは、もっと早くにそのことに気が付かなかったのだろう。
この地方の春の叙勲141人の名簿が新聞に掲載された。消防団長、統計調査員、保護司、民生委員などを長きにわたって務められた皆さん、これは叙勲に値する。心から敬意を表したい。しかし、元国鉄職員、元郵政公社職員、元地方公務員、元国家公務員など、叙勲が必要なのかね。小中学校の校長もずらずら名前を連ねているが、ホントに叙勲に見合うだけのことをしてきたのだろうか。
手元に、大薗友和『勲章の内幕』(東洋経済新報社)という昭和60年発行の本がある。それを読むとよく判るのだが、勲章、叙勲はその人の功績というよりも、政治力にかかっていると言っていい。業界での発言力がどれほどあるか、政治家をどれだけ動かすことができるか、その辺りで勲章は決まる。
例えば、瀬島龍三である。関東軍参謀からシベリア抑留を経て、伊藤忠商事に招かれて会長まで登りつめた。しかし、この人は卑怯だった。自分をよく見せるため、正当化するためには、どんな手をもつかった。是非はあろうが、こんな男ですら勲一等瑞宝章をもらっている。中曽根康弘などと懇意にしており、政治力があったからである。
もらう価値のある人がもらってこその勲章。己を名誉ばかりに血道をあげてきた欲の塊には、軍餉でも与えておけ。なんだこいつ?というような輩が、叙勲すればするほど価値は落ちていく。
だからこそ、役所広司さんや萩尾棒望都さんの受章がうれしい。