市川森一さん、ご逝去

 脚本家の市川森一さんが70歳でお亡くなりになられた。ご冥福をお祈りする。
http://news24.jp/nnn/news874838.html
 市川さんと言えば、一番メジャーなドラマは『傷だらけの天使』だろう。ショーケンと水谷豊主演のチンピラ青春物語である。このドラマの影響で、前歯で牛乳の蓋を開けたアホも多いのではないか。もちろんワシャは今でもそうやって開けている。
 でもね、市川さんの名作ということならば1974年にNHKで放映された銀河テレビ小説黄色い涙』ではないだろうか。少なくともワシャはそう思っている。あ、そういえばあのシナリオがどこかにしまってあるはずだ。さっそく書庫で当該本を探す。

(探索中)

 おおお、ありましたぞありましたぞ。2.4mの書棚の一番上の倉本聰のシナリオ全集の奥に隠れて埃をかぶっていた。間違いない。市川森一黄色い涙』(大和書房)1984年の第一刷である。
 この話はもともと漫画家永島慎二の『若者たち』という漫画がベースになっている。永島が自身の経験をモチーフにして描いた青春漫画だ。それを名匠市川森一がシナリオ化した。主人公は売れない漫画家である。この役を森本レオが演じた。その仲間たちを、岸部シロー下條アトム、長澄修などが固めている。

 一時期、ワシャはシナリオ文学なるものに凝った。取っ掛かりは倉本聰北の国から』(理論社)だった。その前書きを引く。
《これまでのシナリオは俳優や監督やテレビ・映画の関係者が読む、出版されない文学でした。(中略)シナリオを読むことに馴れてみてください。そこにみなさんはただ読むだけではない、創るよろこびも同時に持てるでしょう。》
 もともと子供のころから脚本形式の文章には親しんできた。
 父親の書棚に『学校劇』(国土社)がずらりと並んでいたのだ。だから学芸会が三度の飯より好きだった(勉強が三度の飯より嫌いだった)ワシャはそれを引っ張り出してきては読んでいたものである。
 あるいは、学生時代にシェイクスピアにもはまっていた。そういった素地もあって、1980年代に『北の国から』を皮切りに、『前略おふくろ様』『昨日、悲別で』『うちのホンカン』『赤ひげ』などなど、倉本作品を手当たり次第に読んだ。
 そんな時期に、市川森一さんのシナリオにも出会った。倉本さんも名手だったが、市川さんも匠だった。『黄色い涙』の他、『親戚たち』『港町純情シネマ』などの脚本集を今でも持っている。倉本さんとはスタイルが違うが、どれもいいシナリオだった。
 
 そうそう倉本聰、ではない、市川森一である。市川さんの『黄色い涙』が、2007年に映画でリメイクされている。
 主人公たちに今をときめく「嵐」を持ってきた。その段階でこの映画は失敗だと思う。
 それに原作では4人の若者を中心に物語が展開していくのに、「嵐」は5人だから、無理やり第5の男を作ってしまった。まずドラマありきの劇作ではなく、アイドルありきの製作では、はなから駄作と決まっている。
 市川さんも、映画の『黄色い涙』を観て、「やれやれ」と思ったことだろう。

黄色い涙』を探している途中で、1981年4月号の「ドラマ」という雑誌を見つけた。うわぁ、こんな雑誌も読んでいたんだ。30年も前かよ、ちょっと感動ものだけど、少年老い易く学成り難し……をひしひしと感じちゃうなぁ。

 そんなことはどうでもいい。その雑誌である。
 巻頭は、まだ若き市川森一さんのインタビュー特集である。そこに、スーツにステンカラーのコートをはおって、公衆電話で受話器を耳に当てている市川さん写真が載っている。こりゃぁ絶対にやらせだな(笑)。
 この時期に、市川さんは「芸術選奨文部大臣新人賞」を受賞している。その記念記事なんですね。その記事の終わりにこんなことを市川さんが言っている。
《今、シナリオうまくなりたいなあって、とても思いますね。(中略)仕事で籠っているホテルで早坂暁さんに会うと、いろいろシナリオ講義を聞くんですが、タメになりますね。昔は倉本聰さんからもよく聞いてたけど、あの方、北海道に行っちゃったから……。どうしても、もうちょっと上手になりたいですね。》
 市川さん、そう言いながらも、すでにNHK大河の『黄金の日々』をつくり上げているし、『春のささやき』(55年NBC)では、民間放送連盟賞を受賞されている。押しも押されもせぬ一流脚本家なのだが、それでももっと上手になりたいと言う。功成し遂げても、まだ、先輩に教えを請うてシナリオ術を極めようとされていたのか。凄いな。

 後輩たちにいろいろなものを残されて彼岸に旅立たれた。感謝とともに合掌。