少年老い易く学成り難し

 昨日、中学生の時の恩師の葬儀があった。小、中、高、大といろいろな教師とすれ違ったが、まともな人物はそうそういない。数少ない賢明な教師がその人だった。仮にT先生としておこう。
 T先生は、多分、三河の教育者の中では抜きんでた存在だった。若くして市や県の教育委員会の出向し、最終的には某市の教育長になる。そんな経歴の人物は履いて捨てるほどいるだろうが、県教育委員会に出向し、市の教育長になったりすると、どうしても権力志向が強くなってしまう。ところがこの人はそういった志向を持たず、優しい人柄のままだった。
 この人の議会答弁は今でも語り草だ。議員から質問が来ると、事前に議会と執行部で調整をして幹部の回答はあらかじめ原稿を作っておくことになっている。通常、議場で議員が質問して、それに幹部が答えるわけだが、T先生は原稿を一度も見たことがなかった。一言一句間違えずに答弁を諳んじるのである。後にも先にも、西にも東にも、こんな教育長を知らない。
 T先生を見たり、噂を聞いたりすると、頭のいい人というのは、こういう人のことをいうのだな、と常々思っていた。

 その人が数年前からおかしくなっていった。
 同級会を開催した時のことだ。T先生は、ワシャの近くに来て、笑顔で語りかけた。
「オヤジは元気か?」
 ワシャの父親も地元で教師をしていた。T先生より10歳ほど上になるのだが、どちらも酒が好きでよく飲み歩いていたと聞いている。T先生は、若かりし頃、我が家にも何度か遊びに来たことがあり、T先生の我が家での武勇伝には事欠かない。
 そういった関係もあり、且つ一番手のかかった教え子でもあるので、いろいろな場面でご厚誼をいただいてきた。もちろん、お会いすれば、ワシャの父親の話題もでるのだが、今まで一度たりとも、父親のことを「オヤジ」などと言ったところを聴いたことがなかった。
「先生はお元気にやっておられますか?」
「お父さんはお元気ですか?」
 教え子にさえ敬語を使うような人だった。繊細な君子のようなT先生が「オヤジ」という言葉を使ったことに違和感を覚えた。
 その後の会話も、酔っておられたのだろう。支離滅裂で話にならなかった記憶がある。あの頃から調子を崩されていたのだろう。地方の教育界に君臨した鋭敏な頭脳も痴呆には勝てなかったのか。

 葬儀は午前11時ちょうどに始まった。真宗の朗々とした読経が始まる。場所は市営の葬儀場の一番大きな会場だったが、やはり人があふれていた。もちろん若輩者のワシャなどは、外に張ったテントにも入れずにはみ出して合掌をしている。
 でもね、あのT先生の葬儀がこの程度の参列者しかいないのか、というのが正直な感想だった。だって、つい数年前まで現職の教育長だった人だ。関係者も多かろうし、教え子だって数多いるはずなのである。
 そう思って見れば、T先生の薫陶を受けた中学校の同級生は誰も来ていない。もっと同級会のような状況になるのかと思っていたので肩透かしをくらったような感じだった。

 仕事を終えて自宅に帰った。書庫の奥から中学校の卒業アルバムを引っ張り出してきて、一人、追善の晩酌をやっていた。この頃、T先生は37歳か。まだ、駆け出しだったんだな。
 ありゃま、先生のまわりにクソガキがいっぱい写っているではあ〜りませんか。およよ、その中に利発そうな少年がいる。これは誰だ?おおお、この少年こそ誰あろう。ワルシャワ少年ではないか。あのころは利口そうだったのう。あのまま勉学に勤しんでいればひとかどの人物になっていたかもしれない。でも、高校からバカをやっていたからね。まぁおかげで楽しい人生にはなった。
 少年は老いているが、学が成っていなくとも不自由はしていない。むしろバカな分だけ知らないことが多いので、勉強することが山ほどあるので楽しいくらいだ。

 さて、この週末も新たな勉強をするために上京する。体調が今一つだが、なんとか頑張って行こう。少年は年をとるが、年をとっても死ぬまで勉強はできる。そういうこっちゃ。

♪〜富士の高嶺に降る雪も〜京都先斗町に降る雪も〜雪に変わりがあるじゃなし〜とけて流れりゃみな同じ〜♪