中学生は大人より賢明だ(20日目)

 午前4時30分起床、といっても午前1時30分くらいからうつらうつら……という状態だった。寝ているのか寝ていないのかよくわからない。
 ま、いいや。潔くパッと起きて、冷蔵庫に買い置きをしておいたトマトジュースを飲む。メールのチェックをしてそれから着替えをして、朝食の参道一致……サンドイッチと書こうとしたら「参道一致」になってしまった。そんなことはどうでもいい。とにかく朝食を買いに寮を出る。入口の自動ドアを出ると、およよ、涼しい、というより寒い。昨日も鳥肌を立てていた。一昨日の夕刻も涼しかった。どうしたんだこの気候は、地球は温暖化しているのではないのかね、アル・ゴアくん。
 寮棟の玄関から正門まで50mほどのアプローチがある。そこはトラックが2台すれ違えるほどの広さがある。建物も何もかもがバブリーだ。
 でもね、そのアプローチの両側に背の高い並木が続いている。見上げれば、その木立の隙間からのぞく蒼天の頂に弓張月が掛かっている。秋かいな!(ちなみに弓張月は秋の季語です)
 正門を出る。やっぱり涼しい。少し体を温めるために、大回りをしてコンビニに行こう。30分ほど掛けて、立川の昭和記念公園界隈を散歩する。ここは本当に緑の深いところだなぁ。リタイアしたらこういう町で暮らしたいと思う。

 昨日の講義は面白かった。講師はキャリアではなかった。なるほど面白いわけだ。
講師は群馬大学の片田先生で、長く三陸地方のとくに釜石の防災に関わってきた方である。今年で8年目だったという。地震の前にも釜石の小学校、中学校に入って津波災害の恐ろしさを説いていた。講師は言う。
津波ハザードマップは信じるな。最善を尽くして逃げろ。いの一番に逃げられるところまで逃げろ」
 このことを子供たちに何度も何度も話してきた。当初は、子供たちは混乱したそうだ。そりゃそうだ。行政が出しているハザードマップ、情報を信じるなというんだから。でもね、そのことが本当に子供たちの命を救ったんですぞ。
 釜石市ハザードマップは明治の大津波をもとに作成されている。
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/6,16801,c,html/16801/tsunami.pdf
 ご覧いただけるなら、釜石市津波ハザードマップを見ていただきたい。一番下までスクロールすると右側に大槌湾のマップがあるでしょ。それを見ていただくと、だいたいの位置関係がご理解いただけると思う。
 赤いラインが、現在の状況で明治の大津波が発生した場合の浸水ラインである。このマップでは市街地の下方に「文」マークがあるでしょ。この海側の方が釜石東中学校、西の「文」が鵜住居(うのすまい)小学校である。さあ、このハザードマップでは、二つの学校とも浸水ラインの外で白地となっている。ハザードマップを信じれば、非難する必要はない。しかし教えは「ハザードマップを信じるな」だった。
 まず、校庭で練習をしていたサッカー部員が地震に反応した。校庭に亀裂が入ったのである。揺れも尋常ではない。少年たちは校舎に向かって大声で叫んだ。
「逃げろ、津波が来るぞ!」
 そしていの一番に避難を開始した。
「いざという時に、まず自分が避難しろ。その姿を見て他の人も避難行動を始める。一番最初に逃げるのは格好悪いとかおっちょこちょいだと思われるかもしれないが、この少しのためらいが死につながることが多い。とにかく最善を尽くして逃げろ」
 これが生かされた。校庭から逃げていくサッカー部員を見て、校舎の生徒たちが反応した。「逃げよう」中学生たちが高台を目指して西へ西へと走り出した。さぁ、そうなると隣りの小学校の子供たちもそれを見て反応する。
「中学校のお兄ちゃんたちが逃げ出している。ぼくたちも逃げなければいけない」ということになって、小学生たちも校舎を出て高台を目指して逃げる逃げる。途中で、女子中学生たちが「一緒に逃げようね」と低学年の子供と手をつなぎ始める。
 それを見ていた地域の老人たちも「なんだべや〜」となる。子どもたちが、わいわいと高台目指して逃げている。
「おらの家はハザードマップでは安全となっておったけんども、子供たちが逃げているんでおらも逃げるべい」
 地域の老人たちも子供たちの後を追って避難を始めた。
 途中に鵜住居保育園がある。保育士たちが幼い子供を乳母車に何人も入れて坂を上がってくる。何人もの中学生たちは、ワイワイ言いながらその乳母車を押して坂を登っていった。
 小学校から800mの高台に福祉施設がある。そこに子供や住民たちが3000人ほどが避難した。小学校低学年には800mが限界で、もうここらでいいだろうということになった。
 その高台から海が臨める。海が突然立ち上がって住宅地に襲い掛かるのがパノラマで見えた。子供たちの町が津波に呑みこまれていく。
 中学生が叫んだ。
「ここじゃだめだ。もっと逃げよう」
 教えの「最善を尽くして逃げろ」を思い出したのだった。
 中学生たちの「そうだそうだ」と言う声に押されて、大人たちも動き始めた。中学生の率いられた集団は、さらに高いところを目指して坂を登っていった。結果として、この集団からは1人の犠牲者も出ていない。
 さて、現状を検証してみよう。
 まず、鵜住居小学校である。ここはハザードマップでは白地で安全地帯だった。そして気象庁からの津波情報は当初3mだった。校舎に耐震補強を施したばかりでもあるし大半の教師たちは学校に残ることを主張していた。残っていたらどうだったろう。津波後の鵜住居小学校の写真を見せてもらったが3階の教室に逆さになった乗用車が突き刺さっている。津波は校舎の屋上を越えたのだ。子供たちが学校に残っていれば全員が死んでいたことは間違いなかろう。
 もう一つ、高台の福祉施設である。実はここまで津波はやってきた。津波後、3000人がたむろしていた駐車場は瓦礫の山が築かれている。ここから更に避難する判断は正しかった。
 釜石市鵜住居地区は賢明な中学生がいて良かった。片田先生の教訓が彼らの中に醸成されていたことでどれほど多くの命が救われたろう。話を聴いていて、つい涙ぐんでしまった。