犬養孝先生の「万葉集講座」を聴き続けている。
ワシャが大好きな「信濃なる筑摩の川の細石も……」の歌に関連して、犬養先生が、こんなエピソードを披露された。
先生が、とある短歌の番組で80を過ぎたご夫妻と一緒になった。このご夫妻が鹿児島県知覧に旅行された。それはご夫妻の子供が、戦争中に知覧の飛行場から特攻機に搭乗し南の海に飛び立ってそれっきりになっている。だからご夫妻は、そのあとを弔うために知覧に行かれた。知覧に行ったら雨が降っている。タクシーを利用して、その飛び立った跡地に立っている忠霊塔に連れて行ってもらった。
忠霊塔に手を合わせていると、タクシーの運転手が、ご夫妻にこう話しかけた。
「その忠霊塔に敷き詰められた小石を一つ持ってお帰りになりませんか。もしかしたら坊ちゃんがお踏みになったかもしれませんから」
そのお爺さんが答える。
「実はわしもさっきからこの小石が欲しかった。けれど、公共のものだから、もらっては悪いと思って遠慮していた、そうか、では一粒だけいただいていくか」
と、小さな石を持って帰ったそうだ。
アナウンサーが「その小石は今お持ちですか?」と問いかけると、奥さんのほうが、ハンドバッグからハンカチの包を取り出す。震える手で、そのハンカチを開きながら、泣いておられる。ところが見ている僕らも皆、自ずから涙が出てしまったんですね。
ほら、石というものは、けして石ではない。石は石だ、じゃなくて、石はこの方の亡くなられた息子さんの魂そのもの、知覧の忠霊塔で拾ってきた石は息子さんとイコールなのだから。
先生の話を聴いて、ワシャまで涙ぐんでしまった。なんの変哲もない小石が、場所を越えて時を越えて人に感動を与える。ワシャも小石はただの小石ではないと思う。そう考えて万葉集四十巻三千四百番「信濃なる筑摩の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」を聴けば、どうです?さらに心に沁みてきませんか。