先週はかなりストレスを生じる仕事に掛かりっきりだった。それが金曜日に終わったので、週末、その反動が出た。古本屋巡りに名古屋まで出掛けたのだが、いやー、ちょいと買い過ぎましたぞ。3軒を梯子して帰路には65冊が後部座席に並んでいた。
主だったところでは、『東京地名考(上・下)』(朝日文庫)、『完訳三国志』(岩波文庫)、宮崎市定『科挙』(中公新書)、『ボードレール全詩集』(ちくま文庫)、坪内祐三『新書百冊』(新潮新書)、谷沢永一『聖徳太子はいなかった』(新潮新書)、G・ナドラー『ブレイクスルー思考』(ダイヤモンド社)、『言論は日本を動かす』(講談社)、松原泰道『人間は生まれたから死ぬ』(ごま書房)……
65冊のうち12冊はすでに書庫の棚にある本だった。その半分の6冊は、持っていることが分かっていて、2冊目が欲しいのでわざわざ購入した。例えば、関川夏央『退屈な迷宮』(新潮社)、この本は北朝鮮について書かれたノンフィクションである。この中に、若かりし頃のジャーナリストの日垣隆さんが「純一すぎる青年」として登場してくるんですな。一緒に読書会をやっているパセリくんが、最近、日垣思想に染まってきたので、この本を高く売りつけてやろうと思って購入したんじゃ。その他にも、『狂言ハンドブック』(三省堂)や、鷹羽狩行『俳句を味わう』(講談社現代新書)などは、もう一冊手元に置いておきたかったので買った。
問題は残りの6冊である。家に帰って確認してみると「ありゃま、書庫にありましたがな」ということになってしもうた。読んでいるはずなのに、金田一春彦『日本人の言語表現』(講談社現代新書)、中島義道『「哲学実技」のすすめ』(角川oneテーマ21)などをまた買ってしまった。最近、呆けてきたのう。同じ本が何冊も書庫に並んでいる。そろそろ古本屋ができそうなほど貯まっている。
もしも古本屋をオープンする際には「木瓜(ぼけ)屋」という名前にしますね。