葬儀

 亡くなったのは93歳の大祖母だった。体調を崩して総合病院に入院していたが、快方に向かっていた。二人の娘の世話で夕食を済ませてスプーンでお茶を2杯飲んだそうだ。その直後に少し痙攣したかと思ったら、心不全でコロリと旅立った。見事な死に様だったとさ。
 その葬儀を仕切ってくれと実家から頼まれて、不肖ワルシャワが立ちあがったのじゃ。通夜の朝、喪服を着ながら鏡の前で気合を入れていると、嫁から「あんたは寅さんか?」と突っ込まれた。最初は何を言われているのか理解できなかったが、今は解りましたぞ。車寅次郎、葬式になると急に張り切って活躍をしていましたよね。
 何を言われたっていいもんね。葬儀一切を仕切るというのは初めての経験なんで実際のところ楽しみなのじゃ。とにかくパソコン、電卓、書類整理用の封筒、付箋、レターオープナー、そして葬儀の仕来りを学習しなければならないので『ひろさちやの仏教なるほど百科』(世界文化社)、『人生儀礼事典』(小学館)、『なんでも相談の事典』(現代生活セミナーの会)などをキャリーバッグに詰め込んだ。田舎の自宅葬だから広間を開けっぱなしでやるだろう。そうなると暖房機器も必需だろうということで、ワシャの家にあるストーブ3台を車に積みこむ。
 実家に着いたのは午前9時だった。ワシャが一番かと思ったら、雪深い長野の県境から一族の長老の大伯父が軽トラックで駆けつけていた。御年83歳の元気な爺ちゃんである。一族の中ではものすごくうるさいのだが、味方にしてしまえば楽にことが進む。部外者のワシャとしては取り込んでおかなければならない。
 コタツに入って大伯父と実家の祖父母、そしてワシャの4人で葬儀の手順や招待者を決めて行く。といっても年寄が3人である。打ち合わせ半分に世間話が半分といった具合でなかなか段取りは決まらない。それでも根気よく付き合って、話が大東亜戦争に及べば、この間読んだ東條由布子大東亜戦争の真実』(WAC)の話を開陳し、北朝鮮問題になったら重村智計朝鮮半島「核」外交』(講談社新書)で聞きかじったことをもっともらしく披露した。お蔭で大伯父は、若輩者を信用してくれたようで「兄さん、頼んだずら」と言ってくれた。これで葬儀の仕切りはぐっとやりやすくなったずら。
 うるさ型の一族郎党を相手にワルシャワの孤軍奮闘は続くのであった。