佐藤、鈴木、高橋、田中という姓が日本人の苗字のなかでベスト4である。そう言えばこの四姓とも総理大臣を輩出している。佐藤栄作、鈴木善幸、鈴木貫太郎、高橋是清、田中角栄、田中義一。反面、総理大臣は貴種も多いから珍姓もある。西園寺、近衛、東久邇、幣原などはなかなかお目にかかれない。相撲、先生、人首、霊、百鬼、丁、目などなど、どれもれっきとした日本人の苗字なのである。
元々、苗字というのは一つの系譜を他の系統と識別する「氏(うじ)」や社会的階級である「姓(かばね)」とは違って、名田を領有する在郷地主が拠点とする土地の名前を苗字とする例が多い。一所懸命の一所の名を己につけるのである。
本来、奴婢でない公民はみんな苗字をもっていたのだが、中世以降、地下人(じげにん)、凡下輩(ぼんげのやから)と呼ばれた庶民には苗字を名乗ることが禁じられてしまった。だから銭形平次の銭形は苗字ではなく、投げ銭を武器とする平次の通称だし、三河町の親分と呼ばれた半七の苗字は三河町ではない。平次も半七もただの「平次」、「半七」でしかないのである。
それが明治3年9月の太政官布告で「自今平民苗字被差許候事(自今、平民の苗字を差し許され候こと)」と通達を出した。しかしほとんど実行されていなかったので、戸籍を整備し徴兵制を敷きたかった政府は、明治8年の今日、更に命令をだして苗字をつけることを強制したのである。教養のない百姓町民は大あわてで、寺の住職や物知りに頼んで新姓をつけてもらうわけなのだが、坊主も百も二百も苗字をつけていると、だんだんと疲れてくる。思考能力も落ちてきて、終には「土瓶」とか「桶」とか「蛸」などと適当につけてしまった。このあたりの悲喜劇は落語などに詳しい。