緒方洪庵という人物がいる。幕末の人である。大坂で適塾という蘭学塾を開いた人物で、弟子に福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介らがいる。手塚治虫の曽祖父も洪庵に薫陶を受けていた。そのあたりのことは手塚の作品「陽だまりの樹」に詳しい。
「人間の一生はなにげなくすごすこともできるが、鮮明な主題のもとに生きてゆく人もいる。洪庵はそれであった。洪庵は大坂で医業をひらきつつ、多数の門人をとりたてて、蘭学をおしえ、西洋医学を普及することをもって天職と心得ていた。かれの天職という観念は、中年をすぎてからいよいよ透徹し、それ以外に余念がなくなった」
司馬遼太郎の洪庵観である。
洪庵は晩年、江戸に召された。将軍付きの奥医師として法眼の地位を得たが、その生き方が洪庵にしてみれば不本意だったのだろう。法眼に叙せられて半年、江戸住まいになって十月余りで急死してしまった。今日はその命日である。
余念がないといえば余念がない。嫌なものは死んでも嫌だ、とばかりに本当に死んでしまった。ある意味で見事な人生といえるのではないか。
出羽ケ嶽文治郎という関取がいた。大正末期に活躍した203センチの体躯をもつ巨人である。山形の出身で上京して青山の病院に身を寄せていたが、常陸山に口説かれて角界入りをした。大正7年5月に初土俵、昭和14年5月場所を最後に引退した。昭和25年の今日、48歳の若さで亡くなる。得意技は右四つ、小手投げ、鯖折りだった。
「鯖折り!」ってすごい名前の技ですなぁ。鯖を折るんですぞ。鯖をむんずと両手でつかんで『バキッ!』と二つにへし折るのかと思ったら、両手で相手のまわしを引きつけて、あごを相手の肩にあてて、上背と体重で腰をくじきおとす技だった。長身であごの長かった出羽ケ嶽にはもってこいの技である。
また緒方洪庵が鯖ずしを好きだったかどうかは、未だに解明されていないのであった。(なんのこっちゃ)
今日から出張しますので次は日曜日になります。