困った時のニャンコ先生

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 今日もばたばたと忙しく、午後5時に豊田から書庫に戻ってきた。ということで時間がないのでニャンコ先生に登板をお願いした。ニャンコ先生ネタが2日連続なので、少々気が引けるけれど、この一番でかい顔だけニャンコ先生は、昨日、ワシャんちに来たばかりである。

 でかい顔だけニャンコ先生の下にチビ顔だけニャンコ先生が4つならんでいるが、顔だけのものは400の中でも25くらいしかない。

ニャンコ先生研究報告

 ここだけの話だけど、ワシャは「夏目友人帳」の主人公であるニャンコ先生の研究家なのである。だから検体としてのニャンコ先生を400体以上所有している。だから今、ワシャの書庫はニャンコ先生だらけなのじゃった。

 先日、ワシャの研究室(笑)を関係者が訪問した。彼は、ニャンコ先生で埋まった部屋を見て「ニ病んでいる」と言ったきり絶句してしまった。「病んでいる」だろうが「ニャんでいる」だろうが、そんな発言に惑わされるものか。ワシャはニャンコ先生の正体を突き止めるために、日々研究を続けるのであった(エッヘン)。

 そこで、ワシャの研究の成果をひとつご披露しよう。

 ニャンコ先生はこの写真のように白い体にオレンジとグレーの模様が入っている。

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 これがプリチーなのだが、次の写真をご覧くだされ。

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 黄色い付箋で示した通り、ニャンコ先生は当初は頭の部分にオレンジとグレーの丸い模様と、背中全体のオレグレ模様は切り離れていた。なかなかコミックの中でニャンコ先生の後姿が希少で確認するのが大変なのだが、少なくとも1巻で登場した時には天頂部に饅頭のような模様が独立していた。

 それが下のピンクの付箋を見ていただくと、頭の部分の模様と背中の模様は一連の模様としてつながっているのだ。

 1枚目の写真にもどってもらうと、12のニャンコ先生の背中を見ていただけるが、一番後ろのでかいニャンコ先生で確認すれば判りやすい。こんなふうにニャンコ先生の模様は首のところでつながっている。99.5%がそうなっている。

 1枚目の写真の一番左の小さいニャンコ先生だけが、頭頂部の模様が独立しているもので、私の検体の中では唯一のものである。

 そこでこう結論を導き出したい。当初、オレグレ模様は頭頂部と背中で分離していたが、ぬいぐるみなどを作っていく過程で、縫製の手間などを考慮して、縫製パーツを少なくするために模様をつなげてデザインした。その後、コミックの絵のほうが後追いで、オレグレ模様のつながったニャンコ先生に切り替わっていった。そう考えている。

 

 どうでもいい話で申し訳ありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄は、今ここにある

《香港当局、民主派を50人以上逮捕 予備選に関与の米国人弁護士も》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6381394

 ついに香港が地獄になった。ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏を殺した志那本土の法律が、香港国家安全維持法(国安法)と名をかえて香港の民主派を襲っている。「香港黒禍暗賤縊死法(黒暗法)」と言い換えたいくらいだ。

 捕えられた善良な人々は血の池や針の山に追い立てられていく。すでに周庭さんは地獄の重罪犯刑務所に移送されてしまった。悲しいけれど、10か月という時間は、彼女の人格や純潔をボロボロに砕いて余りあるほどの長さだ。

 

 1月6日の産経新聞の国際面《闘わねば、自分の顔持てない》という記事がおもしろい。副題は《自由なき香港とムーミン》である。

「香港とムーミン?」

 なんのこっちゃ?と思いますよね。だから読んでみた。記事を引きますね。

《ひどいイジメにあった影響で、顔や体が消えて透明になってしまった女の子が主人公。いろんなアドバイスを受けながらムーミンたちと暮らしていたある日、悪事を働こうとするムーミンパパに、女の子が怒りを爆発させた途端、元の姿に戻ることができた》

 物語はメルヘンだが、これが現在の香港を示唆しているとなると怖い。

ムーミン」の著者のトーベ・ヤンソンフィンランドの人である。当時、ヨーロッパ中に版図を拡大していたナチスドイツの迫害に直面していた。その時に、自由への思いを込めて「ムーミン」を創作したという。

 もう少し記事を引きたい。

《当時、彼女が訪れたドイツで目の当たりにしたのが、密告におびえる市民たちの姿だった。》

《人はおどかされてばかりいると、だんだん姿が見えなくなっちゃうものでしょ》

《闘うことをおぼえないかぎり、あんたは自分の顔を持てません》

 まさに、トーベ・ヤンソンの言うとおりなのだが、残念ながらナチスドイツの脅迫、迫害、虐殺は、少女のいじめのレベルを超えていた。

 ユダヤ人たちは身ぐるみ剥がされ、強制収容所に送られ、地獄の中で、とにかく透明になることに心掛けた。目立てば死ぬ。看守の気に障れば拷問や強姦、その先の死が待っている。そこでは「闘う」などという希望はまったく持てない。「闘う」の最初の「た」で、射殺、撲殺、拷問死、ガス室が待っている。そんな絶望の地獄では、人は透明になる。

 今、香港がそのとば口にある。いやすでに絶望の地獄に足を踏み入れている。民主主義というごく当たり前のことを求めて口を開いただけで、周庭さんは地獄の監獄送りになった。

 さらに民主主義を主張していた元立法会議員が53人も一斉逮捕されている。彼らの移送の映像を見たが、どの若者も強い意志を目に宿していた。

 だが、残念なるかな、支那共産党ナチス以上に残虐だ。抵抗するものを一切許さない。許せば、自分たちが吊るされるからであり、ある意味で奴らも命がけで民主派を攻撃している。

「闘わねば、自分の顔持てない」

 それはまぎれもなく事実なのだが、現状の香港では「意見を言うこと」すら憚られる。1年前、100万人以上が参加したデモに、今年は3人が参加した。市民は、皆、透明になってしまった。

 ナチス以上のモンスターを育て、野に放ったのは、他でもない、日本の責任かも知れない。歴代の「親中派」、「親中党」、「媚中経済人」、「支那のスパイ」たちが、現状の悲劇をつくり上げてきた。

 我々は、次の世代に対してどう責任を取るのか。

外国人のこと

 この年末年始だけのことで、なおかつワシャがすれ違っただけの話だから、主観的な情報であることをあらかじめ断っておく。

 年末年始、遠出もできないので近所のスーパーや、隣町のブックオフ、ブックマーケット、駅前の商店街など近場ばかりにでかけた。西三河という限定的な地域の中で動いていた。その間、何百人とすれ違ったかは定かではない。数えていなかったからね。でも、その中で言えることは、ほぼ日本人と推定できる人間は99.9%マスクを着用していた。この1週間で唯一日本人でマスクをしていなかったのは、昨日の夕方に岡崎の西友の入口ですれ違ったひょろりと背の高い若者だけだった。その若者は母親らしき老年のマスク女性と歩いていた。その彼だけが唯一マスクをしていない日本人らしき人である。

 かたや、外国人のマスク装着率はかなり低い。西友の中にあるブックオフでも、やたら外国人が多く、その大半がマスクを着けない外国人だった。もちろんきちんと着けている外国人もいましたよ。ただ、無装着のほうが確実に上回っている。

 ワシャの町のスーパーでもそうだ。夜の酒の肴を買いに立ち寄った。そこは市内でも外国人の居住が多い地区なのだが、そこの食品売り場ですれ違ったいかにも南米風のごついオッサンが、ケータイででかい声を発しながら電話をしているのだった。もちろんノーマスクでね。言葉は理解できなかったけれど、おそらくポルトガル語でしょうね。そのオッサンの声とスーパーのテーマミュージックだけが店内に響いている。オッサンの横でカートを押しているやたらと尻のでかい女性もマスクを着けていなかった。

 正月三が日も、ゴーストタウンのようになった中心市街地で闊歩しているのは外国人が多く目につく。そしてマスクの装着は少ない。これがワシャの年末年始の印象だった。

 誤解してもらっては困る。ワシャはなにも外国人差別をしようなどとは毛ほども思っていない。また、マスク警察でもないので、飛沫の飛ぶ状況でなければ、それほど口うるさくマスク着用を言わないほうの立場である。ただ、人ごみの中とか、建物の中とかでは、マナーとしてマスク着用はすべきだと思っていることも間違いない。

 

 そういった意味から言えば、外国人の公共の場でのマナーは悪い。その認識をこの年末年始でさらに強くなった。数が少ないうちは外国人も「若干の遠慮」をするだろう。しかし、外国人だけではなかろうが、ある程度の数を頼めば、人は横柄にもなり厚かましくもなる。

 2カ月くらい前のJRの車内での体験なのだが、一角の対面シート4席を占領した外国人(これもブラジル系だと思う)が、混みあった車内でマスクをせずに大声で談笑している。目のギョロッとした若い男は興奮気味にまさに口角泡を飛ばして何かを語っている。日本人の客たちは、少し距離を取りつつ、無言でスマホに集中していた。少なくともあの混み具合では、マスクはエチケットだと思うし、大声で話をするのもマナー違反だと思う。

 繰り返すが、ワシャは日本に住む人を肌の色や出身国で差別するようなことは絶対にしない。台湾人の李登輝さんを敬愛しているし、日本に帰化した石平さん、ドナルド・キーン先生などの書籍も愛読している。武蔵丸親方とか友綱親方(旭天鵬)は、現役の頃から贔屓だったでごわす。

 もちろん有名人ばかりでなく、留学生だったコックスくんやロベルくん、韓国人の李くんとも交流がある。同じ町の焼肉屋をやっていた在日の人とも仲がいい。

 でもね、この人たちは、有名無名に関わらず、みんな日本語を話し、日本文化を知っている。日本を理解しているのだ。そういう外国人は、ワシャは尊敬するものである。

 しかし、日本に来て、日本のルールに従わず、寒くなっても入れ墨の二の腕を晒し、郷に入らず、自分たちだけのコミュニティーをつくり、リトルサンパウロ、リトル上海が、町の片隅に出来はじめている。そうなるとそのコミュニティー内は治外法権のような場所になってしまう。

 それでも日本人は人がいいから、それらを受け入れようと努力をする。しかし、リトルなんとかが固まってからではもう遅いのである。

 東かがわ市では、廃校となった小学校を、支那の「海淀外国語実験学校」に無償提供する寸前までいっていた。これね。

http://hrp-newsfile.jp/2020/3972/

 でも、幸福実現党の市議会議員の頑張りで中止にすることができた。ちょっと見直したぞ、幸福実現党。党というよりもその議員が立派なんでしょうね。なにしろその一般質問がすばらしい。

「現在、中国共産党一党独裁の体制が、人権に多大な影響を及ぼしている。ウイグル人への強制収容所収監、人権弁護士の逮捕、宗教弾圧、言論統制、香港民主活動家デモへの弾圧など、中国政府の人権侵害に対して、国際社会は非難を強めている。東かがわ市も人権状況の改善のために国際社会と足並みをそろえるべきではないか?」

 町内のドブ板がどうの、生活保護の窓口対応がどうの、地元商店街への補助金がどうの・・・なんてやっている市議会議員が圧倒的多数の中で、がんばっているではないか。これが新人議員というから大したものだ。まさに昨日の日記でも書いたように「年功の弊害」をものともせずに頑張った。お見事。

 繰り返すが、外国人はある一定数を超えてくると、確実にマナーが悪くなる。これは、現実に日本のあちこちで起き始めている。それを日本人の努力ののみによって解決しようというのは、明らかに間違っている。マナーの悪い外国人は帰国させる!そのくらいの強さがあってもいいのではないか。日本を愛する外国人、日本を大切に思う外国人、日本の伝統文化を尊重してくれる外国人、そういったマナーのいい外国人を積極的に受け入れるべきではないか。

 

 もうひとつ言わせてもらうと、何年か前に我が家に泥棒が入った。夜の間に、リビングの窓から侵入し、そこにあった5万円の入ったカバンが盗まれた。朝まで気がつかなかったが、起きてきて、犯行現場のリビングに入ったとき異様な臭いを嗅いだ。それは、およそ日本人ではつけられないような強烈なオーデコロンの臭いが残っていたのだった。

 確実に治安が悪くなっている。さぁて、誰のせいだろうか。

袋小路からの脱出

 中日新聞からもうひとつ。同じ1月3日の紙面に歴史学者磯田道史さんの寄稿が載っている。特集である。「未来へのヒント 私の一作」というテーマで識者たちが「明日への歩みを進める支えになる一冊」を紹介していた。磯田さんは、「袋小路 どう脱出」と題して、司馬遼太郎の『花神』を推している。いいセンスだ。その内容も素晴らしい。どこぞの駄コラムとは比べ物にならん。

 冒頭に、新型コロナウイルスが収束したその先で「何を元に戻し、何を変えるか」を考えようと、言っている。そしてその参考に『花神』がうってつけだと書く。

《日本社会がしばしば陥る袋小路と、そこからどう抜け出したのかが巧みに描かれている》

 まさに磯田さんが言われるとおりで、『花神』には、旧態依然とした幕府、そして烏合の衆ゆえに混乱する薩長が争う混沌とした時代の中で、大村益次郎が、《西洋に学び「これまでの先例」より「役に立つか」を判断基準》にして日本のために国を変革していく。

 磯田さんは大村の時代の病理を「身分や先例で物事が決まること」、「組織に長くいるものが発言力を持つこと」にあると指摘している。これによって時代そのものが機能不全に陥っていたわけですね。

 これに危機感を抱いた大村たち、先の見える、状況を俯瞰できる人間たちが「先例主義」「世襲年功優先」を排除して時代を動かしていった。磯田さんは、まず大村の生きた時代を読者の前に整理しつつ、現在についてこう皮肉っている。

《高齢男性主体の政治は、江戸時代の身分制度と同じくらい奇妙だと思うべきです。》

 仰るとおり!

 我が意を得たり!

 大は、国政を牛耳る二階幹事長であり、彼のやっている支那外交は、田中角栄以降の「先例踏襲」であり、若手政治家の芽を摘むやり方は「世襲年功優先」でしかない。

 小といえば、数多の地方議会であろう。そこでは相変わらず昭和臭がプンプンする長老議員が議会を壟断しており、なかなか新人議員には発言の機会が与えられない。長老議員が「議会も終わったがね。どこぞのホテルでコンパニオンで一杯やろまい」と言い出せば、新人議員には拒否できない。「中止したほうがいいですよ」などと言おうものなら、速攻で村八分同調圧力で潰しにかかるというのがオーソドックスな地方のかたちであろう。

 でもね、そこに『花神』を熟読している議員がいれば少しはまともになるのではないか?と思っている。

花神』の主人公の大村益次郎は討幕後に暗殺をされるわけだが、現代で暗殺されるような心配はない。せいぜいパワハラを受けるくらいのことだわさ。だったら、旧態依然とした組織に立ち向かったとしても命までは取られない。やりたいだけやってやるというのも、選択肢の一つではなかろうか。

 国政の二階幹事長に立ち向かおうとしている若手国会議員よ、地方のミニミニ二階に立ち向かおうとしている若手地方議員よ、国家のため地域のため、ためらうことなく、出でよ!

 

 司馬遼太郎の言から引く。

《道は決して多端なものではない。まことに簡単なものである。ただ白と黒の区別があるだけである。心に慮りて白と思えば決然として行うべし。しばらくの猶予もすべからず。また心に慮りて黒と思えば断然とこれをおこなわないこと、これだけである。》

新春に左を考える

 中日新聞三河版「’21新年インタビュー」に、立憲民主党斎藤嘉隆参議院議員が載っている。

 この人、バリバリの日教組日教組といえば戦後教育の崩壊を招いた主犯であり、そのバリバリが立民の愛知県連の代表ということで、有権者にはその正体が判りやすい。

 ワシャは基本的に日教組がなにを言おうが、それは売国反日行動だと思っている。それはワシャがヘンなオッサンだからではなく、しっかりとした根拠を持って言っている。

 1970年代以降、チュチェ思想金日成一族を崇める思想)を、朝鮮総連(金一族直結のスパイ工作組織)が社会党を初め、全国の教職員、公務員、大学教授、文化人などに広く広めていった。強く影響を受けたのが、社会党左派、日教組であった。だから社会党の残党、日教組は、このチュチェ思想に洗脳されていると言っていい。

 そういった意味から言えば、愛知県代表は社会党の残党であり、日教組でもあるので、純粋にチュチェ思想家と言ってもいいだろう。

 チュチェ思想にかぶれたよど号乗っ取り犯の安部公博の妻でチュチェ思想研究会のメンバーでもある魚本民子は、1980年代に偽造パスポートで日本に入国して、愛知県に住んで、愛知県の社会党議員の選挙の支援をしていたことは有名な話(でもないか)。

 チュチェ思想研究会が活発に活動をしている時期に、日本全土で北朝鮮による拉致事件が頻発したことは、これは間違いなく有名な話である。

 拉致被害者である有本惠子さんのご両親が、必死の思いで頼った地元の国会議員がよりによって土井たか子だった。土井はチュチェ思想にやられてまんがな(泣)。

 立民のルーツである社会党は、そもそも拉致被害などないという立場を貫いていた。その社会党の末裔である社民党が、今、断末魔の中にあることはご案内のとおりである。

 しかし、沈没船からいち早く脱出をはかった紅い頭の鼠もいる。それがどこに逃げ込んで、頬かむりをしているんでしょうね(笑)。

 記者が、代表に質問をしている。

菅内閣の支持率が急落しても、それが立民支持に結びついていない」

これに対して代表はこう答えている。

「明確な対立軸を示しているつもりだが、ストレートには伝わっていないのかもしれない。私たちの思いを国民に深く理解してもらう情報発信のあり方を、選挙までに考えていく」

 ダメだこりゃ!

「対立軸」といっても、ずっと「モリカケサクラ」だったよね。いまだに「サクラ」を引きずっているとは、ほぼ阿呆と言っていい。それに国民はバカじゃない。立憲民主、日教組、チュチェ研の持っているいかがわしさを、しっかりと嗅ぎ分けているのだ。

 頼むから、チュチェ思想の情報発信だけは勘弁してくれ。それに、情報発信のあり方を「選挙までに考える」って、アホちゃうか!今考えて、選挙までに実行しなければダメだろ。

 う~む、愛知県代表がこのレベルでは、ダメ自民の一強はまだまだ続くのう。 

添削「天声人語」

 今日の「天声人語」はそこそこおもしろかった。「起こし」はこうだ。

《ツバメ返し、綱渡り、そしてこまを耳飾りにみせる秘技イヤリング。こまのおっちゃんの実演に親子連れが沸く。新年の初仕事は地元名古屋のショッピングモール。おっちゃんこと日本独楽(こま)博物館の藤田由仁館長(77)はこまを回し続けた》

 この「こまのおっちゃん」をワシャは知っている。以前、某博物館で仕事をしている時に、新春の企画として「独楽」をテーマにしたことがあり、その時のイベントで招聘したことがあったのだ。そういった意味からも興味をそそられ、評価がよくなったのかも(笑)。

「承」は藤田館長の経歴を紹介する。

《40年前に出身地・兵庫県につくった私設博物館を、転勤先の名古屋に移転。49歳で会社を辞め、こまの魅力を伝える「伝道師」になった。》

 さらに私設博物館での子供たちとの触れあいの話とつづく。

 しかし「転」がいけない。ここで盛り上げないとコラムは活きないのに、

《取材の際、ツバメ返しに挑戦してみた。わが手のひらでぶじに回るこまに、中島みゆきさんの「時代」がふいに浮かんだ。〈そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ〉〈まわるまわるよ時代はまわる〉》

と、きたもんだ。なんでここで急に「時代」が出てくるのかが説明されておらず、唐突感は否めない。「クライマックス」で中島みゆきを出すなら、あらかじめ前段で仕込んでおけよ、布石を打っておけよと、指導しておく。

 例えばだ、「49歳で会社を辞め」たとあるので、77歳という年齢から遡れば、2021+77-49=1993になるでしょ。1993年は、まさに中島みゆきが「時代」をシングル発表した時である。

 つまり「49歳で会社を辞め」の文章のあたりに、《中島みゆきの「時代」が流行っている49歳の頃、会社を辞め》としておくだけでも、「転」の文章とのつながりが出てきて、読者を「なるほど」と思わせ、さらに文章の中に引き込むことができる。

《まわるまわるよ時代はまわる》

を受けて、「結」の

《コロナ禍の去らぬまま迎えた新年。3月に予定している大会を開けるかどうか、おっちゃんは気をもむ。禍ばかりでなく福がまわってくる年でありたい。》

が活きるというものである。

天声人語」の時代はなかなかまわってこないねぇ(笑)。