講演会2

 昨日、所用が2つ。しかもかぶっている。どちらにも出席しなければならず、反復横跳びのように走り回った。ひとつは安城市の市制施行記念の式典である。これは大して興味がない。とはいえ、式典の準備をした職員たちは一所懸命にやっているので、彼らへの激励を含めて顔を出した。

 一応、式典の冒頭に参加し、頃合いを見計らって非常口から外に出た。もうひとつの所用の会場に向かうためである。どちらかというとこちらのほうがワシャには興味深い内容である。

 地元の自衛隊協力会が主催する「基調講演」で、航空自衛官だった方を招いての講演会で、これはおもしろかった。自衛隊史、東アジア地政学を中心にして、解りやすく憲法自衛隊の矛盾や、なぜ軍事力が必要なのか、自衛隊の置かれている国際状況などを明瞭に説明されていた。

 講師の話に熱が入ったため、講演が予定時刻を過ぎてしまった。しかしワシャには次の予定があるので、話が終わっていなかったが、後方にいた関係者の方にご挨拶をして、もちろん講演の邪魔にならないように、後方のドアから静かに外に出た。

 

 そして、猛ダッシュ流星号を蹴ったくって、最初の式典会場に戻った。要はここからが、今日(昨日)の本命と言っていい講演会だった。

 講師が磯田道史さん、演題が「安城松平家の天下取りに学ぶ」である。歴史好き、磯田好き、松平好きのワシャがこれは見逃せません。

 2カ月半ほど前に、刈谷市磯田道史さんがお出でになって、講演をされている。その時の日記

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2019/02/25/080448

に書いています。

 その時にも「安城松平」について語っておられたので、おそらく似たような噺になるのではないか、と思って聴いていた。しかし、さすがだった。まったく前回の刈谷とは切り口を替えて、1時間半を語り尽くした。

 いろいろと印象に残ったところはあるが、それはもう少しまとめてから出していきます。

 ただ、最後に言われた「公とは、果てしない他者への共感、これがないと権力の長期安定は難しい」は興味深い発言だった。20年ほどで、部下たちの信頼を失って短命に終わった秀吉政権についての話の中で出てきた言葉だった。秀吉のように「人たらし」の名人でも、20年あれば人心は乖離してしまうのである。秀吉が信長の後を受けて覇を目指したとき、周囲は秀吉を支えるため一致団結してはりきって仕事をした。

 しかし、その後20年で、その部下たちの信頼を失ってしまった。人心の離れた豊臣家は、間もなく滅亡する。ううむ、なかなか含みのある話だったなぁ。

 

 講演会終了後、いつもの本屋に寄った。本を物色していると老人がレジに寄っていって、「今、磯田道史の講演を聞いてきたんだわ~」と書店の奥さんに話しかけていく。奥さんは伝票を書いている手を止めて「ああそうですか」と相槌を打つ。

「話が詰め込み過ぎで、時間切れとなって途中で終わってしまったんだわ」

「もっと、整理をしてこないとさ~」

「安祥(あんしょう)城を、安祥(あんじょう)城と言っていたけど、あれは間違っている」

「古文書を見せられてもな」

「NHKで収録中に体調を壊していたらしい」

 と、講演で聞いた話を、うだうだと垂れ流す。奥さんにしてみれば、聞いてもいない講演会の話である。退屈なんだろうけど、そこは客商売、つまらない話を笑顔で聞いている。

 こういうジジイにはなりたくないな。暇を人の時間で潰すんじゃない。それに話をするならもっと脈絡をつけて、おもしろくアレンジして話せ。

 ワシャは磯田道史さんの講演はおもしろかった。語りたいことが語り尽くせず、少し時間をオーバーしても話しているというのは、磯田さんの講演の手法と言っていい。パワーポイントのスライドはきっちり整理されていて、必要な時に必要な情報が画面に現れた。

 それに「安祥城」は「あんしょうじょう」、「あんじょうじょう」と読んだという説が2つあって、それは現段階でどちらとも確定していない。つまりどちらで読んでも間違いではないのだ。

 そして磯田さんは古文書研究の第一人者である。安城関連の古文書を見せて話さずして、なにを話す。爺さん、何を聞きに来たのか?

 

 自衛隊の話も、磯田さんの話も充分に堪能できたので、いい一日だった。

 

白隠の言葉

 臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴禅師が書かれた法語集がある。『邊鄙以知吾』(へびいちご)という変な名前のもの。名前は変だけれども、内容はすごい。華奢を禁じ、浪費をおさえ、ときの支配者層(武士)たちの生き方について厳しい批判を展開した。それで発禁になってしまったようです。

 その中に《「死字」に参ぜよ》という項がある。ワシャはここを特に気に入っている。

 白隠は言う。

《特に死字は、何といっても武士が参究し決定すべき至要です。死字を参究しない武士は、心身ともに怯弱で、主心を定めることができないから、一旦の緩急があった時に、存外、臆病であって、主家存亡を決する大事の時に何のはたらきも表すことができないのである。だから「驚怖みだりに起るは主心定まらざる故なり」と言うのである。》

 この前段で白隠は「死字とは、何となく気味悪く縁起でもないと思うだろうが、この死字を透過するならば、いつしか生死の境をうち越えることができる秘訣である」と言い切っている。

 白隠の言葉の中に「主心」というワードが出てくる。これは、『邊鄙以知吾』にたびたび出てくるキーワードなのだが、『広辞苑』にはなかった。『日本国語大辞典』にはあって、そこに『邊鄙以知吾』が引いてあったので、おそらく『邊鄙以知吾』にしか「主心」という言葉は使われてないのではないか。

「この主心を据え定め、著実に身を治めること」が重要だと説いている。

 似たようなことを沢庵禅師も言っている。

「本心一途」

 本心を定めて、一途に身を治めれば、物事は確実に進んでいくんですね。

                                                                   

 

おいしい人間

 カニバリズムの話ではない(怖)。

 高峰秀子のエッセイ本の名前である。高峰秀子の本は10数冊持っている。でも、同じ本もある。

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 写真は単行本の『おいしい人間』と文庫の『おいしい人間』。もちろん内容は一緒だ。唯一、文庫版には「文庫版のためのあとがき」が追加されているので、まぁ2冊持っていてもいいと思っている。

 とにかく高峰さんはエッセイの名手である。このエッセイ集は、大河内伝次郎から伊東深水梅原龍三郎荻須高徳司馬遼太郎安野光雅などの「おいしい人間」が満載で、小津安二郎や巳喜男などもちょこっと顔を出す。

 司馬さんなどは「人間たらし」という題で、司馬さんがいかに人をたらすかが克明に書かれている。しかし、司馬さんをただ褒めるばかりではなく、司馬さんらしい失敗談も語られていて、「新幹線の車内で人の弁当を平らげてしまった司馬さんの話」には、失笑させられた。

 高峰さんは、司馬さんと交流のあったことをとても喜んでいる。

《私たち夫婦にとっての司馬遼太郎先生は、大げさではなく「生き甲斐」ともいえる御方だと思う。》

 生き甲斐とまで言い切れる交流というものが、どれほどの深さをもっているものなのか。まだまだ人間として練れていないワルシャワには、想像すらできないはるかな境地である。おいしい人間になるには、道のりは遠い。

 

昨日の「プレバト!!」

 写真は成功しましたぞ。ユッキィさんありがとう。

 

 夕べ、地元の寄り合いがあって、帰宅は午後9時を回っていた。それから録画しておいた「プレバト!!」を見る。昨日は俳優の村上弘明さんがゲストだった。凡人査定だったが、60点だから初参加としてはまあまあの及第点だろう。

 実は、ワルシャワ、村上さんのファンなんですね。この人が「必殺仕事人」で鍛冶屋の政をやった時以来である。すらっとして、端正な面差しで、性格もよさそうだ。声もやや低く、ストレートな二枚目と言っていい。男優は少し崩れている方が好きなワシャとしては、異色なんですけどね。

 村上さん、好角家でもあって、時おり、大相撲の土俵近くの席でお見かけすることがある。大勢の中に混じっても抜群にいい男が光っている。

 そんな村上さんが、昨日の「プレバト!!」では、なぜか輝きを失っていた。それは一目で判った。ショックだった。いつもテーブルに置いてあるメモに走り書きをした。

「歳を重ねるというのは辛いのう……村上さん、老けた。かなりピントの外れた表情。これから顔を造っていかなければならない年齢なのに……」

 好きな俳優だっただけに、62歳というこの年齢から、渋みのある知的で涼やかな男の顔を造り込んでほしい。そう思ってメモをした。

 

 今朝、ネタを並べるために、村上さんの情報にアクセスしてみた。そうしたら大腸癌で手術をされていたということが解った。そうか、病気やつれだったのか。それなら仕方がないけどね。でも、ワシャから見ると「知的好奇心」の部分が削げ落ちてしまっているような印象だった。

 村上さん、やはり俳優である。顔はしっかり造り込んでおいてください。いい老け役ができる草刈正雄さんのような役者になってくだされ。

 

 最近「プレバト!!」は東大生がお好きなようで、今回は「東大医学部イケメン」の河野玄斗君が俳句に挑戦するんですと。べつに構わないのだけれど、東大医学部にも関わらず司法試験にも合格しているというとんでもない秀才が売り物らしい。

 完全にひがみで言っているんだけれど、「医学」と「法律」を学んで君は何をしたいのか?まさか「俳句」がしたいわけでもあるまい。河野君が超絶した記憶力を持っていることはわかった。だったら記憶力を駆使して、いろいろな資格を取得するのではなく、どこかを深めていったらどうだろう。そのほうが手当たり次第に手を出すよりも、絶対に人のためになると思う。

 かつて「弁護士」で「医者」で「知事」だったバカがいた。そうなりそうな卦が人相に出ておるぞよ。気を付けられよ。

 

 

実験中

 友だちのユッキィさんが、同じ「はてなブログ」をやっていて、いつも写真を載せておられる。ワシャは写真を載せたことがないので、ユッキィさんの指導の下、写真を載せる実験をしている。

 一応やってみる。結果はどうなるかわからないが、「えーい!」

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津島の某所にて

 

車は狂気

 それにしても痛ましい事件だ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190508-00010005-kyt-soci

 2歳児が2人亡くなられたという。2歳って一番可愛いさかりですよね。ご家族の悲しみを思うとやり切れない。

 ワシャは、最近、女性ドライバーの危険な運転を2件目撃した。2件とも黄色から赤に信号が変って右折信号になってから、直進にも関わらず、猛スピードで交差点に侵入してきた。40代と60代とおぼしき女性だった。2人とも普通のどこにでもいるような女性で、けっしてヤンキーな感じではなかった。どちらかと言えば上品な雰囲気をもっていた。しかし、運転は暴走族顔負けの運転だった。

 ワシャの個人的な感想でしかないが、最近は女性ドライバーの運転の方が荒いような気がしている。どうでしょうか。

 

 

本の旅人

 書店にいくと無料で手に入る各出版社のPR本だが、これがなかなか読みごたえがあるのだ。このことはたびたびここで言っている。角川書店のPR誌「本の旅人」では、毎回、中野京子さんの「怖い絵」シリーズを楽しみにしている。5月号では、グッドールの「チャールズ一世の幸福だった日々」が取り上げられた。この絵ですわ。

https://www.sankei.com/life/photos/170921/lif1709210004-p1.html

 のどかに舟遊びをするイングランド国王一家が描かれている。この絵だけを見れば、幸福な一家の一時を切り取った記念の絵ということなのだろう。ワシャも展覧会でこの絵と突然出くわしたなら、そう思う。それがダメだと中野さんは言う。

《つまり歴史を知らなければ、チャールズ一世の舟遊びも安徳天皇の笑顔も、ただの日常風景でしかない。知識があって初めて――タイムマシンで過去と未来を行き来したように――運命の非情さ、恐ろしさに慄然とするし、言い換えれば、創り手もそれを意図したことがわかる。》

 歴史を知ってこそ、絵の奥行きが見えてくるというのである。ううむ、確かにそのとおりだ。チャールズ一世の、この後の運命を知っているのと、知らないのとでは、まったく絵の味わいが違ってくる。

 そんなことが無料のPR誌から学べる。

 

 地元店舗のPR色がかなり濃い月刊「なごや」5月号でも、興味深い記事がある。俳人で元ボストン美術館館長の馬場駿吉氏と画家の堀尾一郎氏による「美術鑑賞の手引き」という対談があった。その中で「メメント・モリ」について話をしている。

《馬場:先生の作品に接するたびに、私はいつも「メメント・モリ=死を想え」という言葉を思い出すんです。人間には必ず終末がある。名古屋ボストン美術館にも終わりがある(笑)。》

 馬場さんがこんな俳句を作っている。

「剪って手にすればメメント・モリの薔薇」

 ワシャの退職のご挨拶葉書には、うっすらと骸骨を杖の上にかざした僧侶が描かれている。一休禅師を書いた。

「何れの時か夢の中にあらざる、何れの人か骸骨にあらざる」

 人生のすべてが夢の中にある。どんなひとでも骸骨となる死をかかえている。

メメント・モリ」だなぁ……。

 

 けっこうPR誌でも楽しめるでしょ。